対談タイトル
「虚実のあわい」
虚と実、遠さと近さ、私と私たち―。それらのあわいを見つめることでひらかれていく、「分かち合うこと」の可能性/不可能性をめぐる放談。
目次
・生(なま)と加工
・私と私たち
・言葉の力、あるいは裏切り
・とじるとひらく
・遠さと近さ
対談者:松本篤さん
(AHA!世話人、remoメンバー)
1981年兵庫県生まれ。「文房具としての映像」というコンセプトの普及に取り組むNPO法人記録と表現とメディアのための組織(remo)に、2003年から参加。市井の人びとの記録に着目したアーカイブプロジェクト、AHA![Archive for Human Activities /人類の営みのためのアーカイブ]を、2005年からremoの事業として始める。これまでに記録集『はな子のいる風景』(武蔵野市立吉祥寺美術館、2017)、ウェブサイト『世田谷クロニクル1936-83』(生活工房、2019)、展覧会『わたしは思い出す』(せんだい3.11メモリアル交流館、2021)など、さまざまなメディアづくりに携わっている。現在、岐阜県伊深村(現伊深町)にて発行された戦時中の慰問文集の再々発行プロジェクト『なぞるとずれる』に取り組んでいる。
●生(なま)と加工
■岩瀬:
まずは、私からあわ居のホームページ上で「体験者インタビュー集(*1)」を始めたきっかけについてお話ししたいと思います。改修期間を含めると、あわ居という場を始めて約八年が経ちました。そのなかで強く感じているのは、あわ居という場所のこと、あるいはそこで私たち主宰者と来訪者の方との間に起きていることを伝えていくことの難しさです。どうやったらそれらのことが伝えられるのかが一向にわからなかったですし、今も模索している最中にいます。
あわ居には本棟、別棟という建物はたしかにありますし、例えば一泊二日で実施している「ことばが生まれる場所」で言えば、何時にチェックインして、何時に食事をして……といった感じで、ある程度のフォーマットのようなものも存在しているわけですが、しかしその都度、来訪者の方との間に生じることはまったく異なります。その意味で、主宰者である私たち自身が、一方的に「あわ居はこういう場所です」とか「こういうことが起きる場所です」というのを言い切るだけで、それで本当にあわ居をしっかりと伝えたことになるのかというと、それはちょっと違うのかなということを感じています。かと言って、「とにかく来てください」とか「来てもらえばわかります」という態度を示すのもまた違うし、そもそも山奥にあるので、アクセスが悪く、気軽にふらっと行ける場所ではない。もちろんここには経営という要素も絡んできますが、このままの伝え方ではどこか閉じた在り方になってしまうような、そんな気がしていました。そうしたなかで、「これではいけないな」というところで、「体験者インタビュー集」の掲載をあわ居のホームページ上で始めたという経緯があります。
ですので、「体験者インタビュー集」の元々の趣旨としては、「あわ居をどのようにすれば伝えられるのか」というところが大きかったわけです。でも、実際にインタビューをして、それをテキスト化してみると、これはすごく面白い作業だなということに気付かされた。ちょうど私が、松本さんと出会ったのが十年ほど前だったと思いますが、そのあたりの時期は、松本さんが一貫して追及されている記憶や歴史といったテーマであったり、またそれらと言葉との関わりといったところに私自身、非常に関心がありました。ある個人的な経験が、どのようにすれば時間や空間を隔てた人とも分かち合えるのかといったところ。しかしその後、あわ居の活動にぐっと舵を切った中で、そのあたりへの自分の興味関心は、いったん落ち着いたのかなと思っていました。しかしあわ居の「体験者インタビュー集」のテキストの価値について思案する中で、実はその頃に自分が集中的に考えてきたことに、多少リンクする部分もあるのではないかということを感じています。今日はそのあたりのことについて松本さんとお話ができればと思っています。
■松本:
生で起きていることを、その場に居ない人にどのように届けていくか。つまり時間も空間も共有していない人と、何かを分かち合う方法に私も関心があります。二〇〇五年にアーカイブプロジェクト・AHA!を始めた頃は、いかにその場で起きていることの強度を高めることができるのか、ということを考えていました。収集・保存・活用といったアーカイブの一連のフローを静的ではなく、いかに動的なものに変容できるのかというモチベーションが高かった。だからその頃は、「場」の捉え方が局所的だったんだと思います。でも最近は、「場」の捉え方が偏在的になったというか……現場にいない人に、そこで起きていたことをどのように伝えることができるのか、といった別の考え方も必要だと思うようになりました。
お魚の料理で例えるなら、お刺身と干物の関係。魚は魚なんだけれど、味わい方が違うみたいなことはやっぱりある。今の私たちのプロジェクトでは、ワークショップといった「生」の場の設計や実施は「お刺身」としていかにおいしくできるのか。一方で、書籍は「干物」という感覚があって、そのいちばん旨い料理法を追求しています。一生懸命、遠くの人にお刺身を食べてもらおうっていうのは、良い意味で捨てている。そのうえでの伝え方を考えているというのが、記録と記憶の残し方を考えていくうえで、ひとまず辿り着いているところですね。まぁ当たり前といえば当たり前なんですけど。
でも、たまに干物と刺身が「同じ魚だったんだ」と気づく時があるんです。それが例えば、あわ居の「体験者インタビュー集」上で語る岩瀬さんと直接会うとか、実際にあわ居に行ってみる経験。あるいはその逆で、実際の滞在のあとに、インタビュー集を読んでみる経験。生鮮品と加工品の“ぎっこん、ばったん”を経由して、二つの別々の経験は接続されていく。
■岩瀬:
なるほど。私としても、「体験者インタビュー集」を通して、あわ居の質感や雰囲気、その場で起きていることを、それが断片的にではあれ感じてもらえるかもしれないとは思っていますし、そこから実際にあわ居に来てもらえる流れができないかなぁというところは、明確に意図してやっているところがあります。また松本さんのおっしゃるように、あわ居滞在後に、他の方のインタビューを読むことで、何かが生じることもありますよね。それらに加えて、「もしかしたらこういうことも起こりうるのかな」と、自分自身が考えている別のことがあって。そのことについて、少しお話ができればと思っています。
●私と私たち
■岩瀬:
まずは、自分たちはあわ居という場所で、来訪された方と一緒に出来事を作っているのかなというふうに整理をしています。出来事という語句は、論者によって様々な捉え方がされているものだとは思いますが、自分自身としては、その時点でのその人の容量を超えたものを受け取る体験を、出来事だというふうに理解しています。例えば日常というのは、「こうすればこうなる」というかたちで、見通しや予測がある程度つく中でこそ、円滑に流れていく部分があると思います。一方で出来事に晒されている時間というのは、「ちょっと何が起きているかわからないぞ」という部分がある。つまり、その時点での言葉では整理できないものを体感している時間が出来事であり、そうしたものを、あわ居でつくっているのかなと私としては考えているわけです。
ですので、「体験者インタビュー集」というのは、見方によっては、「あわ居でこういう出来事に遭遇しました」っていう部分が記述されているとも捉えられるのかなと。そして、その時点で何が起きているのかわからない時間について体験者が語る場合、そこには割と共通する語りの傾向があるのかなと思っています。あわ居の話で言えば、「あわ居に来る前はこうでした」というところから始まり、「あわ居でこういうことが起きました」、そして「その後、こうなりました」という流れですね。あわ居で遭遇した出来事を媒介とする、自身の移ろいを話の中で構成しながら、その亀裂について語っていただいている印象がある。その意味で、「体験者インタビュー集」のテキストは、とても物語っぽいものだなと思っています。
おそらく、その人の容量を超えたものを受け取る体験というのは、それまでの自分自身のパターンや秩序が剥がされたうえで、じゃあそこで自分が、もっと言えば誰でもない「この私」が、どのようにそこに応答するのかということが、鋭く問われる場面だと思います。その意味で、あのテキストには、どうすれば良いのかわからない事態に晒された人が、「この私」において、どのようにその出来事を捉え、どう次の有り様につなげていったのかという、その構えのようなものが書かれていると思うんです。わからない事態に対して、他の誰でもない「この私」がどう応答したのかという、その人のその人性みたいなものがすごく出ている文章のように私には見える。そしてこうした、その人性が刻印された文章を、時間も空間も共有していない人が読むことで、もしかしたら何かが起きるのではないかということを感じています。
■松本:
今のお話に対して、自分の関心に引き付けると、まさしく今私の頭の中を占めているのが、「私」と「私たち」を行き来する経験を、どう捉えればいいのかということですね。二つほど例に出してお話しします。一つ目は、二〇二一年に『わたしは思い出す』という展覧会を企画した時に経験したエピソードです。展覧会を企画したきっかけは、東日本大震災発災から十年目の「節目」に、「せんだい3.11メモリアル交流館」からAHA!にいただいたオファーでした。私は企画を構想する段階で、かおりさん(仮)という仙台市の沿岸部に暮らす、ある一人の女性と出会います。彼女は二〇一〇年に第一子を出産するのですが、出産日から育児日記を書き始めるんですね。『わたしは思い出す』は、そんな彼女の育児日記を彼女自身に再読、回想してもらうことで、東日本大震災からの十年間を捉え直すというものでした。
かおりさんが出産された数ヶ月後に東日本大震災が起こったので、彼女の記録は育児日記ではあるんですが、震災の経験が育児の経験とない交ぜになって記述されている。そういった性格のものを振り返るということは、育児の経験、震災の経験、その両方の語り直しとなります。それはずっとAHA!がやってきたような、私(わたくし)的な記録や記憶を、公的なものに対置させるアプローチにつうじるものでした。震災が取り扱われる際には被害の大きさにフォーカスされることが多いんですが、それだけに留まらないものが私的な記録と記憶から見えてきました。展覧会は神戸、水戸にも巡回し、その成果を再構成した書籍も作りました。結果的に、三十万字くらい、厚さで言うと五センチくらいのものになりました。
かおりさんが語った「わたし」を主語にし直した語りというのは、聞き手である私と、話し手であるかおりさんの二人で作った言葉だったりするわけです。聞き手と語り手の協働をとおして出来上がった三十万字の言葉。その意味では、本当のかおりさんの言葉は、あの本の中には一切出てきていないんじゃないかということを考えたりもします。私が聞くことで彼女の言葉というのは一人のものではなくなるわけなので。「わたし」の言葉は二人で作ったものであって、彼女自身の言葉は、彼女の中に留まり続けていくように感じました。あるいは、より遠くにいってしまうような感じ。いい意味で閉じていく感じ。私的な記録と記憶に着目したアーカイブという活動をめざしているけれど、本当にそれを「私的」と言って良いのかという問いかけを、自分たち自身に投げかけるような経験でした。
二つ目の話をします。私的な記録、例えば個人的な写真だったりとか、八ミリフィルムなどの個人的な映像だったり、今回で言えば、育児日記だったり。それらは全部私的なメディアと言えるんだけれども、そこには全部、「イエ」という制度や「家族」という集団がひっついてくるんですよね。つまり、私的な記録と言ったとしても、それは付随的なあり方。「家族」が主としてあって、従属的なものとして個的なものが出てくるっていうような順番。「イエ」の概念に内包されたものとして私的なものが出てくることも気になっているんですよね。私たちの活動は、私的な記録を扱っているのか。また、そもそも、私的な記録とはいかなるものなのか。
■岩瀬:
面白いですね。
■松本:
さらに、AHA!というプロジェクト名についてもふと考えたりします。二〇〇五年にプロジェクトを始める際、私的な記録や記憶の、曖昧で非言語的な部分、それによってもたらされる「驚き」、つまりとても感嘆詞的なあり方を日本語でも英語でも表現できたらいいなと思い、「あはれ」とか「a-ha」という言葉が連想されて「AHA!」という名称をつけた。「Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ」というのは完全なあとづけなのですが、でもよくよく考えると、「人類」と言っているんですよね。
人類ということは、「they」や「we」ですよね。私(わたくし)の記録を扱っていることと、これが私たちのアーカイブだって言っていることが、どういうかたちで繋がっていて、どういうふうに違っているのか、どこが重なっているのか。そういうことが気になっているのが今なんです。どこかで「私」と「私たち」というのを行き来しているんだろうなって。当たり前のことなんですけど、そのことをここ最近で再認識して、自分で驚いているわけです。啓蒙的に教条的に「私たちって大事だよね」と言うことは簡単だけど、説得力がないと思っています。そのうえで、どうやったら私たちは、「私たち」という言葉を信じられるんだろうって。往々にして損な役回りをすることの多い「私たち」という主語について、今あらためて考える必要があると感じています。「私たち」を取り戻さないといけないんじゃないかって。
ちょっと前置きが長くなりましたが、あわ居という場を構えられているなかで、岩瀬さんにもそのようなご経験があったりするんじゃないかと思って。ウェブサイトにアップされている岩瀬さんの文章を読ませてもらったりすると、「私」という主語と「私たち」という主語が重なりながら、たびたび登場するんですよね。今日はどんな話になるかよくわからないんですけども、まずはそのあたりから投げかけてみたいと思いました。
■岩瀬:
どの話も非常に興味深いです。いくつもひろいたい論点がありつつ、ここですべてに接続できるわけではありませんが、まず個的なものが従属的に出てくるというお話は、自分自身の感覚としても非常によくわかります。「家族」というところとは話がずれますが、例えばあわ居のインタビュー集の話に引き付けると、あのテキストには、体験者それぞれのその人性が出ているのではないかという話を先ほどしました。その人のかけがえのなさ、特異性ですね。でもそれは、あわ居という場所、そこでの時間、あるいは私たち主宰者との間に起きた出来事についての語りにおいて、出ているものなわけです。つまり、ここでのその人性は、あわ居という場所、そのメディアを介して、間接的に、あるいは従属的に出てきています。
これっていったい何なんだろうと思った時に、おそらくそれは唯一性というものをどう捉えるのかという部分に関わってくる話なのかなという気がしました。唯一性というと、どうしても自分の内部にあるもの、自分の中に客体としてあるものだと捉えがちですが、おそらく本当の意味での唯一性というのはそういうところにはないのだと思います。むしろ、他のだれにも代替されないような情況や関係性において出現したり、そこでふと実感されたりするものなのではないか。個的なものが従属的に出てくるというお話は、このあたりと何らか関連があるのではないかと思いながら聞いていました。
次に、「私たち」という部分についての話でいうと、例えばあわ居の「体験者インタビュー集」というのは、社会的な出来事や、いわゆる公的なものについての話ではないですよね。辺鄙な場所にある一つの固定的な場所を起点にして、ある個人の中に起きたこと、そこから語られたことがそこには記されています。けれども、自分としては、あのテキストの中に、今の社会、あるいは時代のようなものをふっと垣間見るような感覚を覚える時があります。そしてそのことも含めて、私にはあのテキストを媒介として「私たち」が生成する兆し、あるいは潜勢力を感じているところがあります。
社会に生きていくうえで、人は、定型的というのか支配的というのか、その時代に流通しているある典型的な生活様式や存在様態を採用している部分が、誰しも少なからずあるように思います。けれども、あわ居で出来事に晒されている中では、そうしたものは剥がされて、境界的な状態の中で、「この私」を鋭く問われる。そしてその問いかけに対する応答として紡がれたあのテキストには、どこかその人の「顔」のようなものが刻印されているのではないかという気がしています。
まだたくさんの方に読んでいただいているわけではないので、これはあくまでも現時点での私の推測ですし、起こりうる可能性の一つに過ぎないわけですが、定型的あるいは支配的といわれる生き方に対して不一致感を抱えている人や境界的な状態にある人が、あのテキストを読んだ時に、「あ、もしかしたらこうしたら良いのかも」とか「あ、こっちにいけば良いのかも」みたいな感じで、現状を打破する通路や流れのようなものが、ポコッとどこかから出てくるというような、そういうことが起こりうるんじゃないかという気がしているんです。そこに刻印された他者の「顔」から眼差されるようにして。そういう生の有り様、存在様態もありだよねっていうところで後押しをされる。もっといえば、外へと押し出される。そしてそれは「体験者インタビュー集」に書かれた、応答の仕方をそのまま引用するというかたちではなく、良い意味でのその人なりの勘違いもしつつ、ある種の跳躍として、現状から脱出するための通路が生じるのではないかと。その瞬間に他の誰でもない、その人のその人性が浮上してくるのかもしれないですし、もしかしたら、そこにこそ「私たち」がいるのかもしれない。その意味では、ここでの「私たち」というのは錯覚的に感知されるものに過ぎないのかもしれません。実際のあわ居の場でも時折たしかに「私たち」の感覚を得ることがありますが、これも実は錯覚的に感知されているものなのだろうと個人的には思っています。
●言葉の力、あるいは裏切り
■松本:
今のお話は、言葉の問題としてリフレームすることもできるのかなというふうに聞いていました。言葉にのる。言葉につられる。どこかで読んでいるテキストに連れて行ってもらう感じがありつつ、でも読みながら自問自答し始めると、どこかで話し始めたり、語り始めたり。書き始めたり。受動的でありつつ、前のめりになるみたいな。そういう言葉の持つ力があるっていうふうに、私には聞こえました。それは言葉を信じているというふうにもとれるし、一方で言葉に裏切られるような感じもある。あるいは言葉を裏切るような感じもある。良いように解釈するというか。まぁ占いみたいなものかもしれないけれど。でもそれによって活力が生まれるみたいなことが、現実としてありますよね。
騙し騙されというか、語り語られるというか、そういうところにも繋がっていく。言葉を信じるってなんなんだろうなと思ってお話を伺っていました。今、岐阜県美濃加茂市伊深町(旧伊深村)をフィールドにして取り組んでいる「なぞるとずれる」というプロジェクトとも繋がるところがあるなと。これまでのAHA!の活動は、公的なものではない私的な記録をいかに扱うかという問題意識が強かった。でも「なぞるとずれる」は少し違う。というか、込み入っている。戦時中に、当時の伊深村の子どもたちが父親や兄、あるいは親戚や近しい関係にある出征兵士に向けて手紙を書いた。手紙と言っても、「ヘイタイサンヘ」みたいに誰が読んでも良いように書かれたわけですが、そのあり方自体が二重に私に嘘をついているというか、私性が偽装されているんです。つまり、戦時下における規範にそって書かれているという意味で私的なものではないし、それが手紙という形式をとった文集であること自体、私秘的ではない。「そもそも私的な記録とは何か?」。そんな問いかけをも含み込みながら「偽装された私性」を取り扱っているという意味で、これまでの取り組みとは違う。
それは結局のところ、言葉を疑っているとも言えるのではないかと考えています。そこに書かれている手紙の内容は先生に指導されて書かされたようにも受け止められるが、それは現在から捉えるとそう見えるだけで、皇国史観に浴した軍国少年、少女は、本当に当時の価値観に即して書いていた。さらには、文脈も歴史も全く異なるのでとても危なっかしいのですが、敢えて言えば、現在のウクライナに暮らす子どもだったら、「ヘイタイサンガンバッテ」と、自国のために戦う近親者に言ってしまう気もするんです。どこまで行っても本当には分からないんですけど、言葉を信じながら疑う作業を継続しています。例えばどうなんでしょう、実際のあわ居の場において、言葉への疑いが現れることが岩瀬さんの中にあったりするんでしょうか……。
■岩瀬:
うーん、どうなんでしょう。例えば、本当に本人がそうだと思ってしまっているということはよくあると思います。それは嘘をついている、ついていない、というレベルの話ではなく、本当に間違いなくそう思っている。「自分はこういう人間である」とか「こういう性質がある」というふうに、自分を捉えている。もしかすると、そこには社会であるとか、その人をとりまくネットワークの中で、知らず知らずそう言わされていたり、そう思わされてしまっている側面もあるのかもしれません。その意味では、思っているのではなく、思い込んでいると言える場合も多々ありそうです。本人がその言葉を使いながらも、実は本人ですら意識できていないところで、誰かや何かに言わされていることは、たくさんあると思います。
でもそうしたドミナントな(支配的な)ものが揺らされることがありますよね。例えば人間関係のゴタゴタであるとか、仕事上でトラブルが起きた時に、それまで形成してきたナラティヴが揺らされることがある。つまり、言語的に区切っていた世界が揺らされる。そしてそこにはやはり叫んでいる身体がいる。まだ自覚していない過去の記憶や、隠蔽された自身の性質といったものも含めて、未知の他者が身体には潜在している。そこを協働して立ち上げていく作業をあわ居でしているのかなというところがあります。その意味では、それこそ松本さんのおっしゃる「あはれ」じゃないですけど、それが出てきたときに、自分でもびっくりするようなところもあると思うんです。「自分ってそんな感じだったんだ」っていうところで、それまでのドミナントなナラティヴからすれば、かなり逸脱した自分自身が出てきてしまう。それを見てしまう。
例えば、あわ居の「ことばが生まれる場所」に、あるご夫婦が参加された時に、対話でどこを重点的にテーマとして掘り下げていくかを一緒に検討している時に、「いや、そこの部分は特に問題ないです」って言われたことがありました。でもこちらからすれば、「いや、そこに何かがあるようにしか思えない」っていう(笑)。それはもう対峙した際の身体的な反応として、どうしてもそのように、こちらからは見えてしまう。それで「ほんとうですか?」というところで、切実に問うていったり、あるいは逆にじっくり待ったりしていると、やっぱりそこからわらわらと出てくる時が確かにあるんです。
だから、本人も「いや、そこの部分は特に問題ないです」っていうのは、嘘をついているわけではないんです。言葉ってやっぱり世界を区切ってしまうもので、あまりに開けっ放しにしていると、いろいろと入ってきてしまい、日常に支障が出ることもあると思います。ただ一方で、社会やその人をとりまくネットワークに生きるなかで、一般的あるいは定型的といわれるようなナラティヴにしがみつこうとしてしまう力が強まっているのかなということは非常に感じています。その意味でも、世界の固定化に加担してしまう力を言葉は持っていますよね。でもそこを引き剥がし、流動化させていく力もまたもっている。その二面性を自覚したうえで、言葉を扱っていくことの重要性を感じています。
●とじるとひらく
■松本:
少し話が戻りますが、「体験者インタビュー集」に掲載されているのは、たぶん強度があるというか、耐久性がある言葉になっていると思うんですね。つまり、色んな人が見るものだから、割とパブリックな言葉になっているような気もします。実際のあわ居で話される言葉は、たぶんもっと狭い言葉で、外には出せない言葉だったりするわけですけど、でもその言葉がけっこう大事で。つまり、インタビュー集で語る言葉と、実際のあわ居の場、つまりその中の私たちだけで完結する言葉があって。それで、後者のようなものが閉じられた私たちの記録として手渡されると、「私こんなこと言っていたっけ」みたいな経験が後からもやってくる気がする。怖いですけど、ちょっと寝かしてから、例えば数週間後にその記録が手紙で届くとか(笑)。言葉は別にみんなの為に使わなくても良くて、その人たちと私のためにあるような言葉もあっても良い。狭い場所でしか使えない言葉もたぶんあると思うんです。そういうのも大事なのかなぁという気がしました。それこそ、かおりさんじゃないけれど、私一人の時間が育っていくというか。
先ほど、岩瀬さんが、ドミナントなものが強固だっていう部分の話をしましたけど、ほんとそう思うんです。でも、今言ったようなものとして記録があって、それを後から更新していくとか。それを冷静に見直して、もう一回赤をいれるみたいな。そういうフィードバック作業を、境界的な場所にいる時にやっても面白いのかなとか。あるいは場が終わった後に、私たちだけの会話録としてプレゼントするとか、そういうのも効果があるような気がする。
■岩瀬:
なるほど。ある鼎談の中で、精神科医の北山修さんは言語には二者言語と三者言語があって、それを区別することの重要性を指摘しています。二者言語というのは、例えば日常生活のなかで、友人や家族とコミュニケーションする際に使っている言葉です。そして臨床家の力量が最も問われるのが、二者関係においての言語であると。一方の三者言語は、みんなに向けて書かれた言語で、臨床家で言えば論文であるとか、学会で報告する際に使用する言語です。そしてその鼎談の中では、二者言語と三者言語は鋭く対立するものなのではないかいうことを臨床心理学者の桑原和子さんが指摘する一方で、第二者性と第三者性を往還することの重要性が同時に語られている。また、今の社会においては、第三者性が強く要求されることがはっきりと記されている(*2)。こうした内容に自分自身、非常に考えさせられるところがありました。
やっぱりあわ居というのは僻地にありますし、やっていること自体も、悪い意味での神秘性を纏った形態になりがちな条件がそろっています。自分自身はおそらく、本質的には三者言語よりも二者言語、二者関係への興味が強い人間なのかなと自覚しています。でも仮にそうだとしても、第三者があわ居に対して外から批評できたり、ツッコミをいれてくれるような、そういう有り様でいたいなという思いがあり、「体験者インタビュー集」を掲載している部分もあります。
先ほど、あわ居の「体験者インタビュー集」の言葉がパブリックな言葉になっているという松本さんの話がありましたが、おそらくこうした背景による影響もあるように思いますね。つまり「体験者インタビュー集」はもともと、第三者にひらく前提でインタビューが実施され、それがテキストになったものなのだと思います。一方で、今の閉じた記録についての松本さんのお話もまさにその通りだなと思いつつ聞いていました。そこでも確かに、何かできることがあるかもしれないなと。このあたりのお話って、冒頭で少し触れた、生ものと加工についてのお話とも少し関連してくるところでしょうか。
■松本:
それに近いと思います。私はワークショップという言い方をしますが、まず現場があって、一方でそこに居ない人のために本を作ったりするみたいな、その二つの時空を行き来するところがある。最初は、ワークショップで起きたことを文字に起こす、つまり聞き書きのようなかたちにすれば伝わると思っていたんですけども。なんかやっぱり自分の中で乖離していくというか。それをそのまま伝えようっていうことが、やっぱり難しいなってすごく感じることが多くなってきたんですね。それがさっきおっしゃったような二者間での対話と、第三者に伝わるような言語の対比の話に近いんだろうなと。
そこではどうしても言葉が変質してしまうというようなことが起きてしまいます。その中に語り手が本当に思ったことが入っているのかっていうことはまぁ置いておいて、二人の間に出てきた「わたし」の言葉を第三者に伝えようっていう意識に変わっているっていう感じですね。だから、『わたしは思い出す』で言えば、いつまでたっても、かおりさんの私的な言葉は入っていないのではないかという疑いにつながっている。
■岩瀬:
虚構と言うか……最後のお話は、何をもってリアリティがあると言えるのか、という問題に引き付けることもできるお話なのかという気もします。例えばかおりさんが一人で私的に書いたり独白することと、松本さんが聞き手として介在して語ってもらうことって、そこで出てくる言葉はまったく違うわけですよね。そこで一つ考える必要があることとして、かおりさんが一人で書いたり独白することが、本当にかおりさんの本音、もっと言えば身体的なレベルで感知している言葉を引き出す作法だっていうふうに断言して良いのかと言えば、それはやっぱり分からないなぁと……。
■松本:
そうそうそう。そういう意味では二人の間に出てきた「わたし」の言葉は、「私たち」の言葉なんだと思っちゃう。また、過去の私と、今いる私は違うんじゃないかとも思うわけです。過去の自分の言葉を読み直すこと自体が……いくつもの私、つまり、「私たち」の場になっていく。そういう意味で、限りなく刷新されていく記録というか。常に更新されるために記録が残されていくっていうこともあると思いますよね。「こんなこと言ってたんだぁ」とか「今の自分はこういうふうには思わないなぁ」とかも含めて。
そういう意味では、たびたびあわ居に訪れる方がいらっしゃったら、その都度、何か今感じていることを言葉にして、それがどんどん変わっていくんじゃないのかな。あるいは変わらないかたちもあるんだろうけど。そういうのを振り返れるような場所ってなかなかないですよね。記録を残すってなかなか難しいから。続かないから。そういう意味で、特異な場所、特異な行為なんじゃないかって思いますね。その特異な行為をずっと続けているっていうことだと思います。だからすごいことだなと思いますね。
●遠さと近さ
■岩瀬:
話は変わるのですが、例えば複数人が集まって、八ミリフィルムで撮られた昔の映像を観る場においては、どういうことが生じれば松本さんとしては「うまくいったな」っていう感触を得るのでしょうか。
■松本:
一つのスクリーンをみんなで囲んで、それを見たみんなの言葉が残ることですね。例えば世田谷の古い映像を色んな人が観て、語る。それが記録に残る。でも、書籍という有限性から考えると、そのスクリーンを囲んでみた人のすべての言葉を残すことが理想であり、でもそれはほぼ不可能でもある。だから、「うまくいったな」と思ったことはほとんどない。
■岩瀬:
それが書籍というメディアの形態になると、さらに空間的にも時間的にも飛ぶわけですよね。そこはもう、そういうものだっていう感じですか。もうそれ以降は、その書籍によって何が生じたかはわからないっていう……。
■松本:
手から離れることの意味もあると思うんですが、実際のところ、離れたあとのことも知りたくなっちゃう。語り手は語りえなさを内在させた語りをしていますよね。「これ言いたかったのになぁ」とかもあるし、もう根源的に言えないみたいな。そういうことを、聞き手はつい聞き間違えますよね。そして読み手はまた、読み間違えていると思う。だからたぶん三重の不可能性の上に、本ができていて。綴じられた本を開くということは、その三つの不可能性の上に成り立っている可能性を開いていく行為。継承の不可能性も引き連れることで、継承の可能性ははじめて開かれていく。詩人の言葉とか内省の言葉が飛距離を持っていたりするというのは、そういうわけだったりする。何かよくわからないなぁというものに心を動かされていくっていうこともきっとある。
■岩瀬:
でもそのなかで、奇妙にずれていくところにこそ、根源的なものが受け渡されていく可能性もまたあるんだという話ですよね。その意味でも、そのあとのことを知りたくなるというのは、私もよくわかります。何がどのようにずれて、何をどのように受け取られたんだろうって。そこをどうしても聞きたくなる……話は若干逸れますが、聞きたいっていうところで言えば、あわ居という場や、体験者へのインタビューをやっていて、これはもう完全に個人的な感触なんですけど、こんな面白い仕事ないよなって思っていて(笑)。
■松本:
(笑)。
■岩瀬:
それっていうのが、やっぱりその人の声が聞こえるからですよね。それはちょっとした比喩において感じとれるものであったりもする。そこに自分はよろこびを感じているところがある。やっぱり自分は声を聞きたいんですよ。
■松本:
そうですよね。最上の楽しみであり、同時に最上の難しさを感じるのは、目の前の現場ですよね。その意味では、本作りのほうがむしろ易しいと感じてしまう……。
■岩瀬:
そこでの声というのは、あまりにミクロな、たった一人の声です。じゃあそこで「それはいったい何なの?」とか「何の価値があるの?」と言われても……もちろん、そこに意味づけをしようとすれば、それはいろいろできるわけですし、今回の対談でもそれを自らやってしまっているわけで、もはやこの対談の中ですら自己矛盾しているわけですが(笑)。その人の声、その人の言葉ってなかなか出ないですし、なかなか聞けないじゃないですか。
■松本:
はい。
■岩瀬:
でもそこに自分たちが関わることで、確かにそれが出た、聞けたっていうところ。とにもかくにも、まずはそのことが一番大事なんじゃないかっていう気がするんですよね。
■松本:
まさしく。おいしいところは目の前にある。だから、その場にいない人に伝えるという編集作業なんていうのは、いろんなものを諦めていくプロセスに近い。諦めるからこそ伝わるものを探して、それを淡々と磨いていく感じ。
■岩瀬:
そういえば今ふっと思い出しましたが、松本さんとはじめてお会いした時って、まだ書籍を作られていなかった時期ですよね。その頃は、映像を用いた対面的な場づくりを中心に活動されていたのだと思います。それで少ししてから『あとを追う』という本を作り、その後『はな子のいる風景』や『わたしは思い出す』を出版した。そのあたりの時期というのは……。
■松本:
驕った言い方になってしまいますが、現場が大事だとずっと信じてやっていたんですけど、結果がついてこないというか、なんというか。広がりがちょっとない感じがあったんです。こんなに大事なことが目の前で起きていると感じているのに、それが伝わっていない感じ。割り切ったんですよ、二〇一五年ごろに。つまり、場づくり自体はそれで大事だけど、別のラインを作らないといけないなと。生きたアーカイブをどう作るかっていうところで、ずっと模索してきたんだけれども、なんか伝わってないぞって気付いちゃって。活動をはじめて十年が経ってやっと(笑)。ちゃんと形のあるもので手渡さないといけないって。それで内心プンプンしながら『はな子のいる風景』を作ったんです(笑)。
■岩瀬:
そして今はまさに、両方をされているということですよね。
■松本:
両方やれるようにしたい、それを続けたい。
■岩瀬:
本を作って、例えば反響があって、やっぱりそこから波及効果もあるわけですか?実際の場に人が集まるようになったりとか。
■松本:
ちょっとずつ私たちの活動を知ってくれている方が増えている感じはあります。『なぞるとずれる』の書籍が刊行できた暁には、もう少し手応えを感じることができて、現場にもフィードバックが起きるみたいなことを期待しているんですけど。ワークショップのような場づくり、書籍のような場づくり、その両方のメディアをやっていくのが良いですよね。だから、あわ居がインタビュー集を作られるというのは、すごくわかります。
■岩瀬:
ただこれまでについて言えば、インタビュー集はあわ居のホームページ上に載っているだけで、それだけではなかなか読まれないですし、仮に読まれたとしても、読む人の状態と言ったら良いのでしょうか……WEBで気軽に読むことで、もちろんそこで読み込めるものはあるかもしれない、でも書籍にインタビュー集を掲載することで、そこで起きる違う作用があるのかなという気もしています。
■松本:
そうですよね。
■岩瀬:
自分としてもすごく悔しいんですよね。あわ居というある種の密室で起こっていること、それはある意味ではすごく地味だとは思うんです。例えばインタビュー集のなかの川合さんのエピソード(*3)でいえば、あわ居別棟にいる時に、そこで聴いた雨の音とか、目に入った植物から、小学校一年生くらいの頃の記憶が全身的に想起されたと。文字にしてしまえば、まぁそれだけの話なんです。でも自分としては、「いやぁ、良かったなぁ」と(笑)。
■松本:
わかります(笑)。
■岩瀬:
でも、「それが大事なんだよ」と私が一方通行で言ってもなかなか伝わらない。臨床心理士の東畑開人さんは「臨床すればわかる」っていうのはたしかに事実だけれど、それだけではただの体験主義になってしまって、自分の体験を超えられない、社会に訴えていく言葉を語れなくなってしまうという指摘をされています(*4)。だからこそ現場で起こっていることを三者言語に翻訳する、メタでみる。遠くに届ける方法を考える。そしてそこからどのように社会や他者との関わりを紡いでいけるのかっていうところですよね。現場を継続しながらも、いかにして外へとひらいていけるのか、そこをいかに往還できるのかという部分については、今後もずっと模索していきたいと思っています。
(*1)あわ居のホームページ上に掲載の「体験者インタビュー集」は、書籍『あわ居-<異>と出遭う場所-』に全文収録予定。
(*2)矢野智志・桑原和子編(2010)『臨床の知 臨床心理学と教育人間学からの問い』pp.174-p182、創元社
(*3)詳細はこちらを参照
(*4)斎藤環・東畑開人(2023)『臨床のフリコラージュ』p.56、青土社
対談実施日:2024年2月9日
対談場所:オンライン(ZOOM)