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私は「道」というのは、いつでもそこにあるものではなく、ある瞬間に立ち現れては、すぐに見えなくなってしまう、そんな類のものなのかなと思っている。それはおそらくその人自身の中で、ある種の啓示のようなものとして感得されることでしか、掴み切れないものだ。目に映るものではない。

 

 

あわ居において私たちに出来るのは、その人の内部で潜在的に流れるものを感知しながら、モノ、人、言葉、場所、自然、作品といったアクターを適切に組み合わせ、それらが絡まりながら流体としてその人自身に作用する、その瞬間に至るプロセスに寄り添うこと。共に「道」を探索することだけだ。