私にとって、あわ居というのは一つの窓なのかもしれないなということを時々思う。あわ居を営むことやここで暮らすことそれ自体が、決して容易にはつかむことが出来ないこの広大な世界というものに対して、自分なりの窓をつくることになっているのかもしれない。固定された場所に住み、ここで仕事を作り、他者を迎え入れること。それはある側面から見れば、極小的で、限定的な条件の中に、自らの生を留めておくという風にも捉えられるのだろう。
けれども、そうした固定的な場所に腰を据えて生きていることで、かえって社会や環境の移ろいが見えることもあるのではないかという気がする。社会や環境と書いたけれど、それはあくまでもプライベートなところで感じ取れる社会や環境に過ぎない。そこにはなんの客観性もないし、一般性もない。けれども、そうした所で感知される社会や環境の都度の移ろいは、いつでも私に問いを投げてくれているような気がする。「あなたの拠って立つ場所は、これからもそこで良いのか」と。
そんな問いかけに、私は揺さぶられ、いてもたってもいられなくなって、新たな場所をつくるための旅へと出る。旅とは言っても、自らを省察したり、本を読んだり、人に会いにいったり、少し建物に手を加えたり、新たな試みをはじめたりといったその程度のことだ。けれどもその旅の中で実感される質的な変化は、ここでの生活や生業の有り様に如実に反映される。あわ居という場所はこうして移ろいでいく。
固定された場所に住み、ここで仕事を作り、他者を迎え入れることだけ見れば、私たちがここでしていることは永久に変わらないのかもしれない、けれどもあわ居という場所が移ろいで行く中で、今まで知ることがなかった新しい世界に出たよろこびを覚える時がある。こんな世界があったのかとよろこびを覚える。
社会や環境はいつでも私たちの意図とは関係なしに、めまぐるしく動いていく。私たちはその中で世界に折り合いをつけながら、その都度場所をつくることでしか、現実を生き続けることが出来ない。私はこのあわ居という窓を通して世界と関わりながら、生かされていきたいと思っている。
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