体験者インタビュー集

 

 

 vol.23:

      U さん /  30代男性

2025年9月に「あわ居別棟」に2泊後、「ことばが生まれる場所」に参加(計3泊4日)

 


 

-Uさんにあわ居をご利用いただいてから、三か月ほどが経ちますが、まずは当時のご自身の状況や、ご利用の背景について聞かせてください。

 

まず大きかったこととして、8月の夏休みが終わってから、会社の上司に呼び出されて、当時の役割に対して異動を告げられるという出来事がありました。それで「一旦どうしようかな」というところで、結構自分と縁のある地域でもある、郡上に行こうかなと。あわ居には以前も一度訪れたことがあったわけですが、こういうタイミングで、内省する場としてというか、「あの場所だったら何か感じることとか、見えてくるものがあるかもなぁ」というところで、伺ったというふうに記憶しています。

 

 

 

-最初は、オンライン無料相談をしましたね。

 

そうですね。何のプランが良さそうか、相談をしましたね。

 

 

 

-それで最初にあわ居別棟に2泊してから、その後に本棟の「ことばが生まれる場所」に参加するという、計3泊4日のプランとなったわけですが、まずは別棟での時間はどのようなものでしたか?

 

一番記憶として覚えているのは、3日目に散歩に出かけた時間ですかね。石徹白集落にあるメインの道路を通らないで、細い道というか、農道というか、どういうふうにつながっているのかよくわからない、舗装もされていないような道をずんずん歩いて行ったんですよね。

 

一応、白山中居神社に行こうとは思っていて、「この道を歩いていくとあるかなぁ」と思いながら歩いていきました。「なかなかちゃんとした道路に出てこないなぁ」とちょっと不安に思いながらも、ただ「こういう経験って久しくしてなかったなぁ」というか……距離としてはそこまで長くはなかったと思うんですけど、ずんずん歩いて行きながら、ちょっとこう、永遠に続く感覚みたいなものがありました。普段は、基本的に地図を見て歩く、地図を見ながら目的地を探すことをしているわけですが、そういうことをしないで、自分の感覚のままに歩いていくみたいな……そういう意味で、その散歩はけっこう新鮮だった気はしましたね。

 

今こうして話しながら思ったのですが、デジタル機器を使うことって、ちょっと自分のリズムからずれる感じがあって、そこに不快感がやっぱりある。歩きながら、スマホを出して地図を眺めて……みたいなのって、体の動作としては、多分違和感があるんですよ。仕事で、AIを使って検索する時も、(回答が出るまで)ちょっと待つ時間があるじゃないですか。数十秒とか長い時はもっと。あぁやって待ってる時間って、自分のタイミングじゃないというか、自然なタイミングじゃないから、そこにちょっと不快感がある。そこに慣れたり、仕事に没頭していたりしたら、もうそれは感じないわけですけど、ただそれでもやっぱり自然な動きではないんだろうなと。

 

(あの散歩の時は)そういうところから少し解き放たれている感じがあって、結構自分の感覚をベースにしているというか……そういうところでの心地よさがちょっとあるなぁって思ったんです。例えば、僕は普段、ストレッチをやるんですが、前まではYouTubeを見ながらやっていたんですね。動画を見ながら、1、2、3みたいな感じで。あとはタイマーを使ってやっていた時もあった。30秒ぐらい測ってとか……でも、自分の感覚でやる方が心地はいいんですよね。そうすると、「30秒経ったか?」とか、「50秒経ったのか?」とか、「いや、20秒ぐらいしか経ってないか?」とか、そういうことは分からない。効果としては、もしかしたらちゃんとタイマーで測ったり、動画に合わせた方がいいのかもしれない。まあでも、「このぐらいかなぁ」みたいなところで、自分の感覚とからだの声を聞きながらやる方が心地がよい。デバイスとか、いろんなものが介することで、自分の体の感覚が取り戻せなくなるというか、失われちゃうこともある。

 

それで、自分のからだの声とか感覚を頼りに歩いたあの時間も、なんかちょっとした心地よさとか、少しのドキドキとか、冒険心を感じるとか……そういう感覚があったなぁみたいな。

 

 

 

-どこを歩いているのかわからない感覚も多少ありつつ……。

 

 

 

そうですね。歩いている途中に、木が結構生い茂っていて、そこをかき分けながら進んでいくような道があって、徐々に車が通らなくなってきて……そこからさらに歩いていきながら、「どう行き着くのかな?」と思っていたタイミングで、少しひらけている畑のようなところがありました。そこをとぼとぼと左に曲がり、さらに歩いていきながら「本当に行き着くのかなぁ?」と思っていたところで、トラクターに乗ったおじさんみたいな人がいて。「ここを行くと中居神社だよ」と教えてくれた。

 

それで中居神社にたどり着いて、岩の方に向かったり、もうちょっと上流の方に歩いたりしていた。それで帰りの時に、思考が結構優位になってきたわけですよ。少し論理モードというか、「自分が独立するとしたらどんなサービスを作るか?」みたいなことを考えるモードに入ったんですよね。「自分がやってきた経験を構造化したらどうなるんだろう?」ということが、頭の中に出てきたわけです。「独立しようかなぁ」みたいなことが、念頭にあったりもして……。

 

 

 

-なるほど。

 

 

 

それこそ会社で上司と対立していた時には、自分は「意味と数字」みたいなことを言っていたわけです。「意味と数字を統合するんだ」とか「数字だけ求めていると人は苦しくなる」みたいな。まあ、そういうのが僕の論理だったわけですよ。「何のために仕事をやるのか?」といったところで、僕なりの信念があり、そこで信念対立が起こり、それが今回のリセットされる一つの要因にもなっていた……あの時はまだ、「俺の信念は正しいはずだ」みたいな感じがあって、だから、数字だけ追いかけるんじゃなくて、「意味と数字」の両立を達成するうえで、どんな事業にしていくと良いのかと、そのプロセスを考えていた。それで、そのことで頭がいっぱいになっちゃって……もう完全に、頭の中の構造というか、パズルみたいなことに、帰り道では熱中してしまった。それで楽しくなってきて、「もう早く宿に戻って、メモを書きながらこの構造を練り直したい」みたいな気持ちが湧き起こってきたんですよ。なので、そこをいろいろ思いながら帰り道を歩き、別棟に戻ったらひたすらご飯を食べました。ナスのパスタか何か食べながら、頭が火照っている感じもあり、「形にするぞ」と。「自分の道が見えてきたかもしれない」というか、ちょっと興奮している感じで。その後、AIを使いながら、その作業に没頭したんですよ。「もうAI使っちゃってるなー」っていうところも、自分としては面白かったんですけど、それをやらざるを得ないというか……ちょっとアドレナリンが出ちゃってるんですよね、興奮して。

 

 

 

-そうしたなかで、その日の17時に本棟の「ことばが生まれる場所」にチェックインをされたわけですね。

 

 

そうですね。チェックイン後は、崇さんといろいろと対話を重ねたわけですが、そのなかでの気づきというか、印象的だったこととして、「取り付く島がない」みたいなことを言われた場面がありました。「自分なりの物語や論理を作り上げているというか、ある意味完成させているところがある」と。だから「今までで一番手ごわいというか、どうしたら良いかわからない」と言われた(笑)。それが結構印象的でしたね。

 

 

 

-たしかその言葉が私から出たのは、チェックインして3時間くらい経ってからでしたよね。

 

 

 

たしか、そうでしたね。最初の方は、多分、僕が(自分が話すことに対して)パキパキに意味づけとか整理をしながら喋ってしまっていたんです。多少感情が出たところもありましたが、基本的には自分なりに、自分に起こった出来事を整理して、構造化して、意味づけして、解消していく……というモードになっていたのかなと。

 

別棟での最後の時間もそうですけど、「ゆっくり過ごしてください」とか「デジタルから離れて」というふうなことを言われて、「こういう場でちゃんとデジタルデトックスしてやるぞ」とは思いながらも、自分が言語で構造化するという欲求から逃れられなかった。だから本当に好きなんだろうなと。自分の体験したものとか、認知したものを、自分なりの構造に落として、どう着地させていくかということが。

 

 

 

-なるほど。そういう自分にちょっと笑っちゃった、みたいなこともおっしゃっていましたよね。

 

 

 

そうですね。それであの時は、そういう自分なりの理論に対して崇さんがフィードバックをしてくれるというか、コンサルをしてくれるというような態度でいたのだと思います。一緒に生み出していくというよりは、自分では気づかなかったところが(崇さんから)出てくると……そういう期待をしていました。あわ居はたぶん対話をしながら、自然となにかが生まれていくような、そういう場なのだと思うのですが、あの時の僕はコンサルタントに対するような態度をしていた。正確に自分の考えていることや状況を伝えなければいけないと思っていました。事実や時系列、起こったことを正しく伝えることによって、医師が正しく判断してくれるように、僕の認識や事実を羅列して「これで料理お願いします」「診断お願いします」という感じ。ただ、(「取りつく島がない」と言われたこともあって)ちょっと違ったんだということに気づきました。そういう場ではないのだと。

 

 

 

-20時ぐらいまでは、私としても、本当にどこを触っていいか分からない状態でした。それで、「取りつく島がない」という旨を正直に共有してからは、Uさんがすごく素になってくれた感じがしました。話しぶりや出てくる言葉、語彙なども変わったように思います。そのあたりはどんな感じで覚えていますか?

 

 

 

一気に「俺、勘違いしてたんだ」という恥ずかしさを覚えました(笑)。漢方を出している店なのに、西洋医学のドクターに行っていたような、バツの悪い気持ちもありました。それと同時に、自分の理論や構造を話すことで、取りつく島がなくなってしまうという、そういう傾向が自分にはあるんだなということを理解しました。友人と飲んでいる時なんかもそうですが、自分の中で完全なストーリーができていると、余白がなくなり、相手はただ物語を聞いているだけになってしまうのです。そういう傾向が僕の中にあり、それを強みとして営業などでは使っていました。人が共感する物語を作り、そこに相手を乗せるのが上手いんです。

 

ただ、あのあわ居の場では、一旦肩の荷がおりたというか、「正しく伝える必要はないんだ」と思いました。自分に起きたことを時系列順に、正しく全部伝えないと、正しく診断してくれないだろうと思っていましたが、そもそも診断をしてもらう場ではないんだと。(答えは)対話の中で見つければいい。だから、すべてを正しく伝えて「どうですか?」と聞く必要はないんだと思った時に、自分の感覚で話をするようになったというか、今ここに集中できるようになった感じです。

 

 

 

-肩の荷がおりてからのことは、どんなふうに記憶していますか?

 

 

 

そうですね……そこからは、記憶がめちゃくちゃ残っているわけではないんです。なんと言うか、そこから潜在意識に入っていけたような感覚なんだろうなと思っています。その時は論理モードではなくなっていたがゆえに、記憶も飛んでいるんですよ。その前までは、言語モードだったり、左脳的だったりしたので、ある程度の記憶はあるんです。ただ、そこからの記憶は結構飛んでいて、何を話したかも覚えていません。面白いことに、ただご飯を食べたこととか、所々で感じたことは覚えています。美佳子さんがいろいろ気を遣ってくれて「もっと飲む?」みたいな感じで聞いて、「いや、ここは酔っ払う場ではないから」みたいなやり取りがあったり(笑)。結構、ふわふわ浮遊していくような、奥底に向かっていくような。多分そういう変性意識状態にちょっと入っていたんだと思いますね。意識の世界から無意識の世界に飛び立ったみたいな感覚でした。

 

 

 

-つまり、Uさんが「記憶がない」というのは、具体的な話の内容は覚えていないけれど、ご自身のチャンネルが切り替わったこととか、その時の感覚みたいなものの記憶自体はあるということですか?

 

 

 

そうですね。だから表面の意識としては多分残っていないんです。ただ今、こうして少しずつ対話をしながら、奥底に沈殿しているものが思い出されてきました……あの時、真木悠介さんの書籍『気流の鳴る音』をおすすめされましたね……おそらく無意識下で話している話だから、意識の表面じゃなくて、深いところに多分沈殿している……こうやって(あらためて)対話をしていく中で思い出したり、気づいていくんだなぁと、今しゃべりながら思いました。

 

『気流の鳴る音』って、「意味と数字の両立が大事だ」と僕が言っていることに対して、「意味とかも、意味なくね?」みたいなことを言っている本なわけですよね。それで、あの時は、そういう書籍の「さわり」を崇さんが伝えてくれた感じでしたね。そのエッセンスみたいなところを。「意味が意味を失ったらどないすんねん」みたいな感じで。「明晰の罠」というフレーズにも触れつつ、論理とか構造でやっているのは、ある意味では知者というより愚者だよね、みたいな。そういうことですよね。僕のやっているプレーは、ある意味愚かなものなのかもな、みたいな。そういう認識のスタートとしての、きっかけにはなりましたよね。(今言ったようなことを)ちゃんと理解するのは、その後に本を読んだりとか、こっち(東京)に帰ってきてからなんですけど。

 

結局、僕が会社で起こしてしまっていたことって、「信念対立」だったなと思っています。「意味を大事にしないやつなんて終わってるだろう」とか、「数字だけ追いかけて資本主義の奴隷か」みたいな。それで「人は抑圧されていくんじゃん」みたいな。そういう考えが自分には多分あったんですよね。だから「ちゃんと意味を貫徹していかないといけない」みたいな。でも、意味は言語としてあっても意味がない。ちゃんとそれを、自分の身体性を伴うように感じていくというか……「仲間を大事にしようぜ」というテーマがあったとしたら、それを頭で思うよりも、日々の生活の中で仲間と一緒にやっていきながら感じるというか、身体的に関わっていることの方が大事で。「ミッション・ビジョン・バリュー」みたいなものを頭の中でちゃんと理解していることよりも、「日々それが形になっていればいい」ということを思うようになってきましたよね。

 

 

 

-東京に戻られてから、だんだんと。

 

 

 

ああ、そうですね。あの時は『気流の鳴る音』の話をされても、まだピンとは来てなかったんですよね。だって僕も「いやいや、意味を感じることは、意味あるんだから」と思っているわけなんで。その後、本は読んだんですけど、やっぱり結構難しいじゃないですか……あ、実は4年か5年前に僕があわ居に行った後に、僕は『気流の鳴る音』を読んでいたんです。買っていました。それで、(当時は)全く響かずスルーしていました。岩瀬さんが学生時代に読んで、すごい人生を変えた本だっていう話をしていたにもかかわらず。全く自分の心に刺さらずスルーしていた。

 

(それで、今回あらためて)『気流の鳴る音』を読みながら、多分僕は、意味に拘泥する落とし穴にはまっていたり、身体性がなかったりするんだろうな、ということを思いました。だから、日々の生活を丁寧に生きていくというか、そういうものを大事にしてみるのもいいのかもなぁ、みたいな……結局、僕はバーチャルの世界で生きているというか、ある意味、身体性をなくしていたとも言えるんだろうなと。だから、論理と物語で世界を作り出して、身体という実体がない世界で、そこそこうまくやってきている……まあ、そういうことをちょっと手放してみるということも必要なのかもしれない。そこが強くなりすぎたがゆえに、対立を作り出してしまったところもあったのかなとか。身体と論理や物語の両方のバランスを見ていくっていうことも含めて、(東京に)戻ってきてから「(あわ居での)あの体験は何だったんだろうな」と、そういうことを少しずつ考えていたような感じでしたね。

 

 

 

-そういう変化は、ある程度時間をかけてというか、じわじわと自分でもよくわからないところで発酵するように起こるというか。それこそ思考ではないところで、どこからか言葉が紡がれてきたりとか。そういうプロセスが必要なのかなという気がします。

 

 

 

そうですね。その後、いろんな人と話をしていくなかで(だんだんと進んでいきました)。そのきっかけとして、自分が見えていない「箱」みたいなものを作ってくれたというのが、多分「あわ居」の時間だった気がしている。自分が見えていない視野のところですよね。今まで自分が認識をしていなかった視点みたいなこと。その視点は、分かっているようで分かっていなかった。だから、僕もそこを(あわ居で)言われた時に、まあもちろん傷ついたりもしました。「今までこれだけ頑張ってきたのに」みたいなところもあったりしたんです。まあでも、「僕のやっていることは大事なんだ」とか、「僕の中での理論があるねん」と思っていたわけですけど、まあでも「要は自分にも問題があったんじゃねえの?」という話ですよね。「自分を正当化せずに、(本人に)いろいろ聞いてみたらいいんじゃない」みたいな話をしてくれた友人もいたんです。ショックはショックですよね。でもそれも含めて、自分自身を省みる一つの機会でした。自分に問題があるって、多分思ってなかったんですよ。全力でやっていましたし。

 

自分の世界はある意味で、植民地化されていたんだと思っています。子供時代で言えば、親の認知、親の作り出す世界観に(植民地化されていた)。「東大に行く」みたいな。母親とか、社会の常識とか、そこでのあるべき姿を……というふうにやってきて、でも途中から自分の世界を作り出すわけなんですよね。邪魔されない自分の世界を作り出すことで自分を守ってきたわけなんです。でもそろそろ橋が必要なのかなと。自分が作ってきた強固な世界観や物語みたいなものと、他人が繋がっていないということなのかもしれないなと。自分の作り出す世界とともに、他人に橋をかけて行き渡りながら、自分の世界さえも変わっていく……そういうことが今必要なのかな。一方で、もう唯我独尊で、「俺の世界観の中でおもろい世界を作っていくぞ」みたいな世界もあるのかもしれないですけど。

 

(自分の中で)いろんなものがリンクしてきたんですよ。今年の5月に親父に言われた話とか。家族で帰省した後、親父にメールで言われたんですよ。最初は「うっせー」としか思ってなかったんですけど。そこには「お前は感謝の言葉を発しない育ち方をしたから、周りからの意見を聞こうとしない」みたいなことが書いてあって。「今日、新幹線発車直前に列車を降りて、お前はコーヒーを買いに行った。発車までの時間があるので十分間に合うという判断だったが、同乗者の俺たちからすれば、乗り遅れるのではないかという心配をした。そういうことをお前は考えていなかったと思う」と。

 

「お前が勝手な行動をしている間、家族に不安を与えるような行動をとらないことが当然で、もしとる場合は一言、相手の意見を聞くこと。これが最低条件だ」と。「行動前に相談をして、相談してから行動しろ」みたいなことが書かれていた。「自分が良かったとしても、他人からすれば、説明をされないとわからない。説明なしで行動すると、自分勝手に見られる。これでは人の理解を得られない。会社内でも」と。「他の社員に説明なく、自分勝手に仕事の分担をすれば社員の協力を得られないだろう。社員に相談して仕事をすれば効率が良いはずだ」みたいな。そういうメールが長文が来たわけですよ。「自分の戒めでもしなさい」みたいなことを言われていたわけなんです。岩瀬さんの「取りつく島がない」っていう話も、親父の話も、なんかちょっとつながるところがあるかな、って思ったということなんですよ。

 

 

 

ーなるほど……それで、今はどんな感じなのでしょうか?

 

 

 

やっぱり自己認識をすることが大事だなと。自分って自分勝手なんだなぁとか。あとは信念とか意味とかにこだわりすぎても危険なんだなっていう……僕自身が極端に変わるって、タイプ的にも難しい気がするんですよ。いきなり仏のようになれるかって言ったら、来世あたりじゃないと、なれない気もしてるんです。でも「自分って自分勝手なんだな」とか、「意味を追い続けて、それを押し付けちゃってるところがあるなぁ」とか、「そこから対立を生んでる面があるのかなぁ」とか。そういうことを自覚することが、やっぱり大事なのかなと思ったりしています。

 

僕には7年ぐらい前に、一度大きなトランジション(移行)が起きたんです。だからもう僕はそこである程度、大人になったと思っていたんです。それは大きな挫折だったし、そこから回復するのに時間もかかったので……それを経て、ある程度「もう俺は完成した人間なんだ」ぐらいに多分思っていたんだと思うんです。でも「全然ダメじゃん」みたいな。「乗り越えたんじゃなかったんやな」というか……がっくりもしましたね。「俺、変わってないところもあったんやんけ」とかって思いながら……ただまあ、そういうものに気づきながら、変容は一日にしてならずだし。7年ぐらいの期間を経て、悪癖とかも出てきながら、そういうのも受け入れながら、少しずつ一歩ずつやっていくしかないんだよなみたいな……そんな風に揺れ動いたりしながら、ちょっとずつ受容のプロセスを今歩んでる感じですね。

 

 

 

-なるほど。私にとっても耳が痛い話です。これまで死角になっていたような部分に眼差しを向けながら、これまでの自分から身を引き剥がしていくというか……そういうプロセスの中にいる感じでしょうか?

 

 

 

そうですね。でも今は、どう過ごしていったらいいのかという、迷いの中にいます。本当はあわ居別棟で過ごしたような時間を3ヶ月くらい取れたらいいんだろうな、という気持ちがあるんです。特に別棟での1日目、2日目のような、「思考を放棄する」みたいな時間ですね。デジタル機器を触るのをやめて、本を読んで、歩いて、というような。僕は多分、思考優位なタイプなんです。自分の頭の構造がおそらくそうなっているんですよ。だからある程度、説得もしやすいんです。

 

でもそういう特徴がありながらも、僕があの1日目、2日目でやってきたような「思考しないで手放す」という時間を過ごす中でこそ、自分のリズムを整えていくことができるんだと思います。岩瀬さんとの対話の中や、別棟での時間の中で、「これが何もしない時間、何もしないことの本質なんだろうな」と思った節もあるんです。僕の師匠的な人も、「こういうトランジション(移行期)の時はニュートラルゾーンみたいなものだから、思考することや何かすることを一回手放してやるのがいい」という話をされていました。

 

とはいえ、頭の中には結構仕事のことがあるじゃないですか。11月末が最終出社だったんですが、「ちゃんと最後に引き継ぎをしないと」という不安はずっと心にありました。でもなかなかエネルギーが出ないし、「週報をちゃんと出せ」とか言われるのも結構苦しかったわけですよ。社内での権力も失っているわけですからね。やっぱり力を失うと、「思った以上に話を聞いてもらえない」みたいなことが割と起こって。そういうこともあって完全には休めていないわけですよ。頭が完全には休まらないままでした。東北や京都を旅しながら心と向き合う時間はあったんですが……何もせずに、本を読んだり散歩したりしながら自分のリズムを淡々と立ち上げていくような時間は得られていない。

 

12月に入ってからは、独立するか就職するか考えていたんですが、妻とも話して「一回就職はしてほしい」ということで。来年の4月に別の会社に入社するということになりました。個人の事業も立ち上げて、ダブルワークでしばらくはやっていこうかなと思っている。だから、忙しいというわけではないんですが、完全に何もしない時間は取れないなぁと思っています。あの時のあわ居での時間を、2、3ヶ月できたら、本当の自分の無意識下と繋がることができそうだけど、現状はできていないな、という悩みはありますね。

 

(4月からどこかの会社に入るとなると)やっぱり緊張感は出るし、思考もしますよね。だから本当にダラっとはできないんです。僕はある程度優秀に見られるのが得意なので、ありのままの姿を出せるわけではなく。準備もしてしまいますし。楽ではあるものの、ベルトコンベアに乗っかってしまっている感覚です。一度スタートすると押しならされちゃうな、という感覚もありながら、ずっとプー太郎をしているわけにもいかないので。まあ、十分休んだといえば休んでいるとも言えるわけです。9月、10月、11月はそこまで仕事をしていないですし……そこから12月、1月、2月、3月と考えたら、6ヶ月くらいは半分仕事で半分仕事じゃないみたいな状態。でも、「完全に休む」という時期は取れていないから、これは取った方がいいのかどうなのか。あわ居の時の状態で1ヶ月過ごせたら結構違うんだろうな、という感覚はありますね。

 

 

 

インタビュー実施日:2025年12月13日

聞き手:岩瀬崇(あわ居)