体験者インタビュー集

 

 

vol.12

       田村花さん/1997年生まれ

2023年9月「ことばが生まれる場所」を体験

 

 

 

-まずは、あわ居の「ことばが生まれる場所」に参加されたきっかけや、その時の花さんの状況についてお伺いできますか?

 

 

あわ居のことは、もともと知人を介して知りました。もともと私は、宿泊業に興味があるのですが、ただ単に泊まる、泊めるというよりも、そこでの会話とか、その人と向き合うとか、そういう作業が好きだから、宿が好きなんだと思っています。知人とそういう話をしているときに、まさにそういうことをやっている場所があるよということで、あわ居を教えてもらって。それですごく気になり、行ってみたいと思っていたのがそもそものきっかけです。「ことばが生まれる場所」に参加したのが九月だったと思うのですが、六月のはじめくらいから私は会社を休職していて。結構精神的に(バランスを)崩しちゃって。それで宿に興味があったから、(九月の後半から)徳島の宿泊施設で一か月インターンをすることにしたんです。車で徳島までアクセスする道中、せっかくだから色んなところに行こうということで、あわ居にも行きました。

 

 

-当初の動機付けとしては、花さんが宿泊業に興味がある中で、対話をし、人と向き合うような形態でやっているあわ居という場所を、少し覗いてみたいという部分が強かったという感じですかね。それ以外に動機付けはありましたか?

 

 

うーん・・・。メインはやっぱりそれですかね。あわ居をやっている岩瀬さんご夫婦が、どんなきっかけであわ居をやるようになったのかとか。今のような形態での営業を、そもそも狙ってはじめたのかとか。今の形に落ち着いた経緯や背景などを、シンプルに知りたいなと思ったのが大きな理由です。あとは、自分が休職して、これからどうしようかっていうタイミングで。少なくとも自分自身とある程度、方向性が似ている人たちとお話をして、考え方に触れてみたいなっていう部分がありました。今の状況を共有して、一緒に考えたり。

 

それで、実際に行ってみて、あわ居は宿業ではないなと思いました(笑)。私は色んな宿に泊まる時に、メモをつけていて。「この宿はこういう印象だった」とか感想を書くんですが、あわ居の場合はそういうジャンルにはもはや入らない(笑)。自分としてはあわ居で受け取るものとか、それこそ印象に残った言葉とかがたくさんあって。普段、日記も書いているんですけど、あわ居のことはその日記帳に、A4サイズで見開き4ページくらい書きました。印象に残った言葉を自分なりにかみ砕いて、解釈するとか。そういうことをしたいなって思うくらいに、あの時間に受け取ったものは多かったです。

 

 

-例えばどんな言葉が印象に残りましたか?

 

 

崇さんの言葉と、美佳子さんの言葉、それぞれにあったんですけど。崇さんだと、「言語化できない状態を大事にしている」という言葉ですね。今もですけど、その時も、これから私自身が目指していくものが定まっていない状態で。「宿泊業!」や「カフェ!」みたいに、「これを目指しています!」っていうものを、一言で分かりやすく言えない事に対して、焦りを感じているっていう話をあわ居でしたんですよね。

でも、例えば「宿です」とか「カウンセラーです」みたいに、今の時点で既にその何かが見えてしまっていると、目指す価値がないとは言わないけれど、面白くないような気もする、っていうような話を崇さんがされて。むしろ、今言葉に出来ない職業であったり、言葉に出来ない状態が大事だと思うって。それが「なるほどなぁ」って思って。私は逆に、そういう状態に焦ってしまっていたので。むしろそういう状態こそ良い状態なんだっていうか、大事なんだなっていう。

あとは、美佳子さんだと「イライラがチャンスだと思う」っていう言葉ですね。これは、さっきの言語化できない状態の話とはまた別ジャンルの話になるとは思うのですが。二日目の朝に、美佳子さんと二人になった時、パートナーとの話になって。相手に対してイライラしてしまうっていうことについて話したら、「本当は〇〇して欲しい、でもそれをしてもらえなかった、だからイライラする」っていうプロセスがあると思っているっていう話を美佳子さんがされて。つまりイライラは二次的な感情に過ぎないと。イライラは、「こうして欲しい」とか「分かって欲しい」っていうサインだと美佳子さんは思っているって。

イライラすると良いことないじゃないですか。だから、イライラは嫌な感情だっていう印象が私にはあったんです。否定的な感情というか。だから、イライラを感じる自分に、また嫌悪するというか。そういうループをどうしたら良いのかなぁって、丁度考えている時期でもあったので。だから、逆転の発想というか。イライラをチャンスっていう良いものに捉えているのがすごく印象的でした。

 

 

-今、パートナーとの関係性についてあわ居で話したことに触れて頂いたわけですが、先ほどもお話されていた通り、元々は、これから仕事や職業をどうしていこうかっていう部分の話をされたモチベーションが高かったのだと思います。つまり、パートナーのことについて話す予定は元々はなかったのではないかと推察するのですが、そういうことを話そうかなぁと思ったタイミングやきっかけのようなものが花さんの中であったのでしょうか?

 

 

あー・・・。なんでだろう・・・。確かに私もパートナーのことを話しながら、元々予約時に書いた内容と違うから話してよいのかなぁとは思いつつ・・・。でもなんか話したいなぁと思って。「全然これまでとは違う話ですけど」って、自分から話し始めた記憶があって。「パートナーいるんですか?」とか聞かれた記憶はないですし。

たぶん、最初はあわ居という場所自体に興味があって。その外側というか、方法みたいなものだけしか見ていなかったと思うんです。でも話して行く中で、人柄がわかってきて、なんていうか・・・。普段、自分が考えていることとか、悩んでいることとか。そういうもう少しやわらかい悩みみたいなものが、自然と出てきたんだと思います。心の中に。それがどういうタイミングでとか、そのきっかけになった言葉みたいなのは、すぐには思い出せないですが・・・。やっぱりお話していく中で、お二人の考え方に触れて、(パートナーのことを)今話してみたら、どういう言葉がもらえるかなっていう気持ちになっていったんじゃないかなぁ・・・。

 

 

-普段は一人で考えたり、悩んだりすることの方が多いのでしょうか?

 

 

そうですね、ほぼ完全に一人です。なんというか、壁打ちみたいな感じで人と話して、言葉にして整理出来たなぁみたいなことも、あるにはあるんですけど・・・。基本的には一人で思考を深めていると思います。他者と一緒に考えを深めていく場合があるとしたら、パートナーとですけど・・・。でもそれは五〇パーセント対五〇パーセントではなくて、ひたすら聴いてもらう感じに近いので、その時も私がぐるぐると頭の中で考えている感じですかね。

 

 

-そうなると、「パートナーのことを話してみようかな」と花さんが思ったのは割と珍しいことだった・・・?

 

 

たしかに・・・。そう思うことの方が少ないと思います。あの時は、言っても否定されないっていう安心感が前提にあったと思います。「それは違うと思う」とか「その感情はおかしい」みたいな感じで。悩み自体を根本から受け入れないタイプの人が私はすごい苦手なんですが・・・。そういう人には最初から心をひらく気は起きないですよね。だからまず安心感があった。それでいて、(あわ居の二人が)私と違うタイプの人だからなのかな。似ている部分もあるけれど。私の思いつかない視点や意見がもらえるかもっていう期待もあったのかなぁ・・・。だから「言ってみようかな」って思ったんだと思います。

 

あとは、あわ居の話をされた時に、「世の中にないから」とか「狙った」とかじゃなくて、違和感を一個一個取り除いていった時に、今の形態になったっていう話を聞いて。それがすごくいいなと思ったっていうか。自分たちの個性を受け入れて、出来ないことは出来ないものとしてやっている。自然な流れでこうなったんだなぁっていう風に思えて。そういう背景もあって、自分たちをそのまま受け入れてきた人たちなんだなっていう印象を岩瀬さんたちに持ったからっていう部分もあるのかなと思います。

 

結構私自身は、人といろいろと喋ったりするのは好きなんですけど、でも本当に自分の心をひらいて、自分のことや、悩んでいることを色々と人に話すことは逆に少なくて。意外に壁が厚いというか(笑)。九割五分くらいひらいていても、本当にセンシティブな自分の悩みは人に言わないというか。ドライな言い方をすると、あまり人に期待していないんだと思います。別に相手を嫌いになるとかそういうことではなく。逆に相手の悩みを聴いたりするのはすごく好きなんですけど。そういう意味でもあわ居の二日目の朝の時間は、自分のパーソナルなところまで話したなっていう感覚でした。

 

 

 

-今のお話もそうですし、先ほどのイライラの話とか、言語化できない状態についての話もそうだと思いますが、あわ居の時間では、花さんの日常的な秩序や、それまでの思考の範疇を超えた部分との接触があったとも言えるかもしれないですね。

 

 

そうですね。それはあったと思います。例えばあれから、イライラすることがあっても、「あ、今イライラしているってことは・・・」っていう風に考えられるようになって、より建設的に相手に伝えられるようになったというか・・・。「今イライラしている」ということをただ伝えるんじゃなくて、「これがして欲しいんだけど」っていう言い方が出来るようになってきた。これまではイライラが感情だと思っていたけれど、そのイライラの先にもうひとつ感情があるということを知ったので。そこが何だろうって自分で考えられるようになって。その部分が自分で相手に伝えられるようになると、相手もより理解が深まるというか。相互理解が進む。以前は「イライラしているなぁ」っていうことは自分で認識できていたけれど、それ以上には行けていなかったので。その意味で、もう一つ踏み込めるようになった。

前から、自分のそのままの気持ちを抑え込まずに受け入れるっていうことに対しては意識はしていたんですけど。それでもまだ自分を否定していたというか。型にはめていた自分に、もう一個気づいたというか。「こういう感情を抱いちゃいけない」とか「こういう風にならなきゃいけない」とか。無意識のところで「こういうものだ」っていう風に自分でしてしまっていることに気付けた。こうなってきているのは、あわ居の時間が大きなきっかけであることは間違いないです。ただ決してそれだけでそうなっている、というわけではないとも思うんですけど。

あわ居の後、徳島には三週間ほどかけて車で移動をしました。その期間にいろんな人に会う中で、自分の性格が変わってきているというのが、自分でもよくわかるんです。前はとにかく、何が何でも向き合うところがあったのですが、今は良い意味で、必要のないところは、避けられるようになったというか。例えば、パートナーとうまくいかない時に、「どうしてうまくいかないのか」「どうすれば良かったのか」っていう考えを、これまではしていました。うまくいかないことがわかっているのに、ぶつかって。ぶつかったこと事態に悩むっていうタイプだったというか。

でも今は「ここがどうしても合わないなら、このタイミングではこういうことは止めておいた方がいいか」とか「そもそも今はぶつからなくても良いじゃん」っていう感じになってきていて。自分を受け入れたことで、そういう風に変わってきているのかなぁとは思っています。俯瞰的に自分を見れるようになったんだなって。

 

 

 

-今話されてきたことをを踏まえて考えたときに、あわ居での時間は花さんにとって一体何だったと思われますか?

 

 

あわ居を通して自分と向き合うと言うか・・・。崇さんや美佳子さんと話したり、空間などを通して、自分自身の深いところにある気持ちに向き合う場所・・・。という感じですかね、一言でいうと。一人じゃ考えつかない所がありました。岩瀬さんたちとの対話があって、深堀りすることが出来たというか。オペみたいな(笑)。見られたっていうか(笑)。自分の心臓をひらいて、見せたみたいな。

 

なんかあの時感じていたイメージでいうと、心に水がすーって注がれるように、言葉が入ってきたなって。そういう感覚がありました。私は言葉がやってくる時に、「なんでこの人こういうこと言うんだろう?」っていう感じで、一回一回自分のフィルターを通して、考えてから飲み込むタイプなんですよね。どういう意味で言ったのか、どういう背景があってこの発言をしているのかっていうことを、考えながら話すタイプ。だからストレートっていうよりは、自分の中でかみ砕いて言葉を飲み込む。でもあわ居の時間では、なんていうか、そのまますーって。すー、すっすーって入ってきた感じでした。

 

 

 

-解釈しない感じというか。言葉は思考に大きく関連するものだと思うんですけど、言葉が身体に浸透してくるような感じがあった・・・?

 

 

そんな感じですね。ほんとに、そのままを受け止めるというか。そのまま入ってきた感じがして。それがなんか不思議な感覚でした。ざばーっていう感じじゃなくて。すーって。美佳子さんでいうと、イメージ的な例えを使ってお話されることが多いから。テクニカルな面でいうと(笑)、それも要因だったのかなとは思うんですけど。映像として入ってきたっていうのがあったと思いますね。

 

 

-自分の中に、もともとなかった解釈とか、日常とはちょっと違うものが入ってきているのに、すーっと入ってきたっていうのは面白いですね。これまでの自分の価値観とか考え方の外にいくことって、けっこう危険だったり葛藤が伴うこともあるように思います。抵抗したり、拒否したりするっていうことも往々に起きうるような気がしていて。けれど、そういうものを、滑らかに受け入れていたのかなっていう感じがしますね。

 

 

けっこう私は斜に構えるタイプで、その人の言っていることが、筋が通っていないって思ったら、聞かないっていうか、聞いているふりだけするところがあります(笑)。絶対に鵜呑みにしないっていう気持ちが結構あって。世の中でどれだけ信じられていることでも、私が納得しない限りは受け入れないっていう、そういうタイプだと思っています。でも、逆に言うと、自分がなるほどなと思ったら、それは受け入れるんですよね。だからフラットに、筋が通っているかどうかっていう判断だけをしていて。有名な人だからとか、実績積んでいる人だからとかは考えないし、無名だからとか、子どもだからとかっていうのも考えない。そういう意味であわ居で滑らかに受け入れられたっていうのは、私の中で筋が通っているって思えたからなんだと思います。なんでもかんでもは受け入れない。休職していて、色んなことを考えないといけない状況だから、受け入れられたっていうわけでもなかったかなと思っています・・・。まぁでも、筋が通っているっていう部分もありながらも、総合的だったのかな・・・。場所の雰囲気とかも含めて。ただとにかく、水のようにすーっとっていうのは初めての感覚でした。自分でもびっくりした感じで。リアルタイムで「なんか(ことばが)すーって入ってくるなぁ」っていうのがあったし、後から振り返って言葉にした時に、「あれは水みたいだったなぁ」って。

 

 

聞き手:岩瀬崇(あわ居)

インタビュー実施日:2023年11月30日