体験者インタビュー集

 

vol.11

鈴木雄飛さん / 1989年生まれ

2022年8月あわ居別棟滞在(5泊6日)


 

-あわ居別棟におひとりで五泊六日ご滞在頂いてから、約三週間が経ちました。まずはあわ居別棟に滞在されようと思ったきっかけや背景についてお話頂けますか?

 

 

二〇二二年の五月にオンラインの「プロセスダイアローグ(対話)」で崇さんと対話をする中で、「今の雄飛さんにはあわ居別棟滞在が合うのではないか」とおすすめをされたことがきっかけですね。その頃は特に、今の仕事や生き方に対しての違和感というか、しっくりきていない感じがありました。そもそもなぜ今の会社や働き方を選んだのかと言うと、もともと「社会問題を解決したい」ということを自分は強く思っていて。その中でずっとやっていました。ちょっと長くなるので詳細は割愛しますが、三、四年くらい前に自分の家族の問題が落ち着いた時に、自分の中で「社会問題は、もうこだわらなくて良いや」っていう気持ちの変化が起きた。

 

それによって、自分が何で頑張るのか、生きるのかとかっていう部分のひとつの自分のアイデンティティというか、OSのようなものが終わりを告げて。なにか新しい自分の生き方が始まるのかなぁということを漠然と予期しながら、でも働き方は変えずに、ある意味自分を放牧していたような時間が続いていました。でも、放牧していても、何かしっくりこないし、むしろやりたくない仕事というか、この人とやりたくないなぁみたいな仕事がどんどん増えていって。どんどん「あれあれあれ」ってなっていった時に、なんかはOSは変わったんだろうけれど、ソフトウェアが前のままだから、あんまりしっくりきていないんじゃないかっていう。そんな感覚にどんどんとなっていって。一言で言うと、「このまま働いて定年迎えたら、めっちゃ後悔しそう」って。でも、どうすれば良いかわからないみたいな悩みを、五月のオンラインでの対話の時に崇さんに話しました。

 

その時に、崇さんが、スペインのサンティアゴ巡礼なども例に出しながら、「何か全く違う日常に身を置くことだったり、普段とは違うリズムの中に埋没してみることが大事なんじゃないか」っていうお話をしてくれて。その流れであわ居別棟をおすすめしてくれましたよね。それで、人体実験じゃないけれど、自分に何が起きるのか見てみたいっていう期待があって。八月にとれた、一ヶ月間の休暇を使って別棟に滞在することを決めました。

 

 

―別棟には五泊して頂いたわけですが、その中での過ごされ方はどのような感じでしたか?

 

 

基本的には、「別棟で生活をしていた」という感じに近いですね。教えてもらったレシピを見つつ、まぁあんまりしっかりやってないですけど(笑)、料理をして。三食しっかり食べて。目の前の川に入ったり、散歩したり、読書したり。ただ片手にはずっとノートがあって、その時々で気づいたことを常にメモしたり、考えたいときにはノートを見ながら、ぼんやり庭で座りながらタバコを吸ってノートに書くっていう。ノートに書くっていうか、自分がその時考えていることをメモする。全体的にはそういう時間が半分くらいを占めていたと思う。

 

 

―えー・・・。半分も(笑)。

 

 

『ずっとやりたかったことを、やりなさい』という本に載っている考え方で、モーニングページというものがあるんですよ。朝起きたらA4のノート3枚分書くっていう。A4のノートってすごい大きいから、書くことがなくなってくるんですけど。書くことなくなったら、「書くこと何もないわー」って書くっていう(笑)。その目的は「排水する」こと。自分の頭の中に、溜まっているものをとにかく出し切ること。外在化することを通して、自分でそれを客観的に眺める意味もあると思うんですが。とにかく空っぽにすることを大事にしている考え方なんですよね。

 

三,四年くらい前から、年始の三十日間だけブログに日記を書いてみるっていうことをやっていて。その中で自分の中で割と面白い気づきがあったんです。ただ、ブログだから、それは外部に公開していたんですね。で、より自分の中の汚いものとか素直な考えを出すって考えた場合、ブログに書くのはやめて、手帳の方が良いなあって思って。それで今年くらいからかな、手帳に書くっていう実験をし始めていて。その流れで、八月中はなるべく毎日書きたいなって。滞在中はモーニングページという括りで朝書くのではなく、リアルタイムというか、その都度その都度思ったことを書くっていう感じでやっていました。

 

 

―深く考えて、それを逐一メモするっていう行為は、日常の中だとなかなか継続するのが難しい部分もありますよね。

  

そうですね、一つは時間の問題で、忙しさの中で、書き続けられないっていう面があると思います。あとは、そういう忙しい日常に埋没していると、自分の感覚がそもそも鈍いというか、鋭さがない気がするから、あまり良いことが書けなかったり。自分にとって大事なことが出てこなかったりするんだと思いますね。さっきお話した三十日間ブログを年始に書くのは、忙しさが落ち着く時期だからというのもあります。

 

 

―別棟では、お仕事も一切持ち込まれなかったし、たぶんインターネット接続もほとんどされてなかったですよね。それも含めて、別棟での五泊六日は、日常よりもご自身を探索する構えがととのっていたり、感覚が鋭敏になっていたっていう部分があったのでしょうか?

 

 

そうですね。

 

 

―そうした中で、特に印象に残っている時間というか、「この気づきは自分にとって大きかったな」っていうエピソードなどはありますか?

 

 

三日目の夜ですかね。月を見ながら外でぼーっとしていた時、自分の半生を振り返っている中で、ある事に気づいた時間が特に印象に残っています。少し長くなりますが、それに至るまでのことを話すと、まず自然をみながら何か気づいたり感じたりするのが自分の趣味だっていう部分がある中で、別棟での初日とか二日目は気づいたことメモばっかり書いていたんですよ。後から見ると、「浅いこと書いてるなぁ」ってなるんですけど(笑)。例えば初日に川に入った時に、めちゃめちゃ虻に襲われて。でも虻って面白くて、なんかぼーっと立って考え始めると襲ってくるんですよ。だからこれは「考えなくてもいいから、感じたり、とにかく動け」っていうサインなんじゃないかって思ってみたり(笑)。

 

あとは、散歩中に小高い丘みたいなところに行きついて、ぼーっとしていた時に、気持ち良い風が吹いていって。自分が吹かれているというか、一緒に風になっている感じというか。自分の身体の中を風が通り抜ける感じがあったりして。普段自分が住んでいるところだったら絶対感じない風の感じ方をしているなぁって。そんなような気づきが、いくつかあって。とにかく普段の都会でいたら絶対やらないような、何かに「気づく」っていうことを自分はやっていたんだと思う。都会ではなかなかそういう自然も周りにないから。これはあわ居から都会に戻ってきた後に、本を読みながら気づいたことですけど、自分が都会に生きている中で、そういう自然とか何かに「気づく」っていう感覚や機能自体が弱っていたから、まず別棟での初日とか二日目っていうは、「何かに気づく力」の回復に時間を使っていたんだなっていうことを思いましたね。ただそれとは無関係で、初日や二日目はとにかく体調が悪かったじゃないですか。謎にずっと体調が悪かった。だるくて、頭痛くて。ノートに向かって「さぁ書くぞ」とやろうと思っていたら、なんかきつくて寝ちゃうっていうことが何回かあって。で、寝ちゃうときは、「あぁこれ今考える時間じゃないんだ」って思って、また散歩に出かけるっていうことをしていました。

 

それで、二日目の夜だったかに、少し崇さん達と話すタイミングがあって、「自分が自然とやっていることに、自分の固有のものを探るヒントがあるんじゃないか」みたいな話をしたんですよね。で、それがけっこう自分の中でひっかかった部分があったんです。で、三日目の夜に、自分ってどんなことに反応していたのかとか、もっと言うと自分の半生を振り返った時に何が起きているのかっていうことを考える気分になっていたんですよね。結構リラックスした状態で。月を見ながら、ぼーっと考えていて。

 

元々は社会問題に取り組むこと、もっと言うと、ある社会起業家の生き方に憧れを抱いていたんです。その人の本なんかを読んで、「こういう社会問題の解決の仕方をしたいな」ってすごく思って。でもその気持ちがなくなってから、自分がついついやっちゃってたことって何だろうって思った時に、インタビューをされている自分を妄想している自分がいることに気づいたんですね。で、「これ何なんだろう」って思った時に、「あ、自分はずっと目立ちたいっていうか、注目されたいだけだったんじゃないか」っていうことに、素直に気づけたんですよ。気づいちゃった。それが三日目の夜に起きたことです。

 

そしてそれは過去に対して新しい解釈が生まれたっていう感覚に近くて。今まで社会問題をかっこよく解決したいって思っていたけれど、それは手段に過ぎなくて、要は人から「すごい」って思われたいっていうか。社会に見つけて欲しいって思ってたというか。で、今でもその願望を引きずっているんだなっていうことを、結構しみじみ思ってしまって。自分の中ではそれは、かなり醜い願望なんですよね。「そういうの、ださい」って思っている自分が頭にいる。頭にはいるけれど、でもそれを自分はやってしまっているよねっていう。そんなことを月を見ながら思いました。いや、月は視界には捉えていたけれど、ほぼ見てなかったから、月は関係ないのかもしれない(笑)。でも起きたこととしては、そういうことが起きた。

 

何て言うんだろうな、隠蔽された自己みたいなものを、その時自分で見つけたのかなって・・・。「ない」って思っていたけれど、本当は自分の中にあるじゃんっていうことにちゃんと気づいた。「あぁ・・・。いた」って直視してあげられたというか・・・。見落としていた自分の部分を見つけてあげられた。だから、自分の中では何て言うか・・・。自分の全体性を回復したっていう感覚に近いんですよね。その時に、より自分自身に近づけた気がする。

 

 

―そこで見えたものがその時の自分にとっては醜悪だとしても、でも「たしかに今自分はそう感じているんだな」っていうことを見れたということが、雄飛さんにとって大きかったということですか・・・?今のありのままの自分を見れたというか・・・

 

 

そうですね・・・。感覚的なことを言うと、それも本当は自分なのに、「そんなの自分じゃない」ってずっと否定していた自分を、「あぁそれもやっぱり自分じゃん」っていう風に受け止めてあげられたっていう。どこか癒しに近い感じがありましたね。素直に受け止められた。だからまずそれ自体が大事な時間だった。

 

その上で、その後の思考の変化としては、それを願ってしまう自分がいるのは仕方がないから、それを踏まえた上でどうやっていくか、どう考えていくかっていう所が自分の中で大事な問いになってきていて。で、改めて思ったことは、「誰かからすごいって思われるのって、本当に大事なことなのか」ということ。「インタビューされた後も人生続くしなぁ」とか(笑)。今までの自分の生き方を考えた時に、人から注目されるための技術みたいなものは持っているし、たぶん実行できるけれど、それをやった時に感じる虚しさみたいなものは、確かに自分も経験してきたなって。わかりやすく言えば、広告業界の賞を取るみたいなことなんですけど。「そんなの意味ないよ」って自分は思ってるんですけど、でもそれをやってしまう自分がいて。その虚しさも、自分の中ではなんとなくわかっているというか。感覚としてあるので。

 

だから、あの月を見ながらの体験を経た自分としては、世の中に当てにいくというか、バントする生き方は出来ないなぁと。「こうすれば、人は喜ぶんでしょ?」とか「こうすればヒットするんでしょ?」って頭では分かるんですけど。でも自分の基準の中で、「こういう生き方をしたい」とか、「こういうものが良いはずだ」っていうのを譲れない自分がいるのは重々承知していて。そっちを大事にする以上は、人や世の中から「すごい」って言われることは、もしかしたら望めないかもしれない。「じゃあどちらをとりますか?」ってなった時に、僕はもう、今自分が大事に思うものを取りたいなっていう風に思えたので。注目されたり、すごいっていう風に思われなくても、自分がやり続けたいことって、じゃあ何なのっていう風に問いが変わっていった。

 

 

―なるほど・・・。ということは、「自分の中に醜悪なものがある」って認められたことで、その自分から、一歩離れた視点に立てたっていうことが言えるのかもしれないですね。ありのままに、今の自分を見たがゆえに、そこから距離を取れたり、そういう性質から離れるために、どうしたら良いのかっていう方向に眼が向き始めたということなのかもしれない。

 

 

そうかもしれないですね・・・。自分の中でも不思議なんです。そういう醜悪な自分の願望に対して、「これはもう自分の性というか業だから」みたいに解釈して、「注目されるためだけに生きていくんだ」っていう風な考え方もあるはずなんですけど・・・。そうはならなかった。「なんかそれむなしい」とか「ださい、貧しい」って客観的に思ったんでしょうね。というか、これまでも「ださい、貧しい」って思っていたとは思うんですけど、それは他人の話であって、自分の話じゃないって思っていた(笑)。でも「それ、自分じゃん」って(笑)。

 

そういう自分がださいから、だったら離れようって思った。つまり「俺はそういう生き方をしていない」とか「それをしていない生き方が出来ている」っていう前提で生きていたんだと思います。でも「あれ?」って(笑)。あわ居からこちらに戻ってきても、常に考えてしまう自分はいるんですよ。「こういうことをすれば、こういうことが起きて、取材されてる自分がいる・・・みたいな(笑)」。でもそれをやっちゃった時に、「あ、またやっちゃってる自分がいるなぁ」っていう風に眺めていられる。

 

 

 

―ちょっと突き放してご自身のことを見ているような感じがしますよね。そしてそこに、自分への葛藤とか摩擦みたいなものが出てきているのかなという風にも感じます。

 

 

そうですね。少し長くなるかもしれないですけど、そのあたりについてお話ししますね。今感じていることとしては、改めて、あわ居別棟で『気流の鳴る音』を読ませてもらったのが良かったなぁと思っていて。

 

 

―たしか初日に私がお薦めしたんですよね。で、二日目に外で読まれていたように記憶しています。

 

 

そうですね。それでその本に「心のある道を歩く(*1)」っていう言葉があって。あの言葉がすごく好きなんですよ。自分もそうありたいなぁって、ただ素直にそう思えていて。その気持ちが大きくなればなるほど、外からすごいって思われることが、とてもどうでも良くなってくるんだと思う。そのことに、より実感が湧き始めています。

 

それでちょっと面白いことがあって・・・。実は昨日まで一週間、箱根の宿に一人で籠っていたんですよ。それは元々、あわ居別棟に行った時に感じたことを踏まえて、自分が一ヶ月の休暇を終えて社会に戻った時に「こういうことがやりたいんだ」っていうことをそこで作ろうっていう気持ちで臨んだんですけれど。それがめちゃめちゃうまくいかなかった(笑)。

 

ちょっと話は戻るんですが、そういう誰からも注目されなくても「こういうことがやりたいんだ」っていう部分については、実はあわ居別棟の四日目とかにも、腕まくりしながら必死で考えていたんです。でも「全然わからん」と。で、その時もまたノートの前で寝てしまって、「あ、これ頭で考えることじゃないな」って思って、また散歩に出かけたんですよ。その時にはたしか一万五千歩くらい歩いて。あわ居の裏にある大師堂の脇の道を行った後に、さらに上の山に登れる林道みたいなものがあって、それをずんずん登っていって。汗だくになって戻って来て、次は白山中居神社まで行って、浄安杉を見て。

 

それで浄安杉から帰ってくる時に、ふと「偉大なものを見つけたい」っていう言葉が出て来たんですよね。で、「あ、そっか自分は、浄案杉みたいな偉大なものに惹かれるのかな」ってその時は思った。でも今となってはそれはミスリーディングだったなと思うんです。そのことについて今は違う解釈を持っている。その解釈が変わったのは、箱根で、地図にも載っていないような道を歩いていた時に、僕は偉大なものとか目的地に興味があるんじゃなくて、何かに出会えそうな道を歩くこと自体が好きなんだなっていうことに気づいたからなんですよね。

 

それって、文字通り、さっきの『気流の鳴る音』に書かれていた「心のある道を歩くこと」だなって思えたんです。ちょっとしたことに感動したりとか、鳥が話しているのに出会えたりとか、木を見上げた時に気持ちが良かったりとか。なんかそういう意外なことに出会っていくこと自体が楽しい。『気流の鳴る音』に書かれていましたけど、この道は別にどこにも続いていないけれど、それでも歩むんだっていう感覚が、自分の中ではすごくしっくりきたんですよね。自分は途上に関心があるし、道自体が大事だったんだなぁって。だから、石徹白の散歩中に思った「偉大なものを見つけたい」の「偉大」っていうのは、「道の途上にあるもの」を指していたっていうことだと思うんですよね。あの時はてっきり、「目的地にある偉大もの」っていう風に、自分で勘違いをしていた。で、道の途上にある物に自分が感動したりさえしていれば、別に人からすごいって思われるっていうのはどうでも良いことだなっていう気持ちがどんどん増している。

 

 

―なるほど面白いですね。そうした一ヶ月の休暇を経て、明日からまた仕事や社会に戻られるわけですけれど、今の気持ちとしてはどのような感じですか?

 

 

気持ちとしてはすっきりしていますね。まず、わからないことはわからないというか。待つことが出来ている状態にはいると思います。あわ居の滞在中に書いた言葉を読み直すと、ほぼ答えは書いてあって。「自分は必死さが報われる世界をつくりたいのかもしれない」っていう言葉があわ居の滞在の後半に自分の中で出てきていて。そのお話は、あわ居での最終日の出発前の時間にもしたと思うんですが、その時は「これだ!」って思いながら帰ったんですよ。

 

で、箱根で、「必死さが報われる世界をつくるために出来ることを考えるぞ」ってやったら、また眠くなって、全然考えが進まなくて、「これ、何かが間違っているな」って。実は、あわ居で「必死さが報われる世界をつくりたい」って言葉が出てきたときに、納得と同時に違和感もあったんですよね。間違ってないけれど、何かが違うかもしれないって。必死さが報われることで僕は確かに感動は出来るんですけど。でも「必死さが報われる世界をつくる」っていう言葉には、「自分をちゃんとよろこばせる」っていうことが書いてないなって。自分のことが抜けてる。そのことにすごくびっくりして。一緒に冒険するというか、僕自身もちゃんとそこに巻き込まれていることが、とても大事だなと今は思っています。自分が巻き込まれていなくても、必死さが報われれば良いっていう態度だと、全然ピンとこない。

 

 

 

―そのあたりのことは整理できたなかで、明日からの仕事や社会の中での行動に、何か良い影響が出てくる予感もあるのでしょうか?

 

 

そうですね。ただ一方で、どういうふうにすれば、そのあたりのことを生活や仕事の中で体現できるかというところに関しては、全く自信はないです。自信がないというか、そういうのっていったいなんなんだろうなって。でもそこには納得感もある。最初はそれが体現できる企画を、今完璧に作り上げてっていうふうに思っていたんですけど、でもまだその形は、自分の中に現れていないんだなぁって。だからその都度、実験しながら修正していくしかないんだろうなって改めて思えている。「これがベストだ」っていうものはまだ作れないと思うので、「これは絶対に違うな」っていうものをちゃんと排除していくことに注力することを、まずはやっていくんだと思う。

 

 

―面白いですね。 休暇前と同じ職場、会社に戻るにあたっても、やはり少しどしっとした感じが、ご自身の中にあるのでしょうか。

 

 

そうかもしれないですね。この一ヶ月の休暇中も、「この仕事入れないかな?」って連絡が来ていたんですが、それを受けるか、受けないかが判断がつかなかったんですよ。で、「あ、軸がまだちゃんとしていないんだ」って思って。でも今は、「それがそれに成ろうとしている人が、固有の生を展開する道を共に歩む」っていう言葉が出てきたからこそ、なぜそれが自分にとってその仕事を受けるべきではないのかが、自分でしっかりと説明できる。自分がしっかりしたんだと思います。

 

 

(*1)真木悠介(2003)『気流の鳴る音』p.157、筑摩書房

 

インタビュー日:2022年8月31日

聞き手:岩瀬崇(あわ居)