体験者インタビュー集
ー「ことばが生まれる場所」に参加されてから、約4ヶ月が経過しました。まずは当時のご自身の状況や、ご参加の背景についてお話を聞かせてください。
時期としては、自己探究を進めるために1年半滞在したカナダから帰国して三ヶ月くらいのタイミングで、「今後どうしていこうかな」と考えていました。帰国してからいろいろな人と会い、自分の状況をある知人に話したところ、「行くと良い場所があるよ」と言われて。それで誕生日付近に、あわ居での時間をプレゼントしていただいたんです。実は以前から、あわ居のことは知っていました。あわ居を体験したことのある方から「人生の凪の時に行くとよい場所だよ」と言われていて。ちょうどあの頃はカナダでの経験の棚卸をしたかったし、今後について考えたかったというところで、これは行くタイミングだなぁとお伺いしました。
あの頃は、ずっとモヤモヤしていて。就職するとか、自分で事業をやっていくとか、ライフキャリアの部分をどうするかとか……そこに、ぼやっとした選択肢はあるのだけれど、どこに踏み出していけば良いんだろうと……そういう迷いがありました。足踏みしているような時間が、もどかしかったんです。帰国して逆カルチャーショックじゃないですけど、新しく生活を組み立て直さないといけない時期なのに、どこに足場をおいていけば良いのかがわからないという……だから迷わなくなることを期待したわけではないですけど、とにかく足を動かしていけるようにしたいという気持ちが強かったですね。「これをやるんだ!」みたいなものを決めたいっていう欲求が高かった。でも、これまでの人生を冷静に考えてみると、私ってそうやって人生を決めてきてないんですよね(笑)。だから、ないものねだりじゃないですけど、「これをやるんだ!」って言ってみたかった時期だったのかなと(笑)。
-今後の人生に向けての決断というか。いくつかの選択肢の中でどこに注力するのかを決めたいという旨は、ご予約の際にも共有してくださいましたよね。そういった背景の中で「ことばの生まれる場所」に参加されて、当日はどのような時間になりましたか?
まずは、食事が印象的でした。特に朝食が嬉しかったですね。初日の夜の対話が終わってから朝食について美佳子さんにヒアリングをしていただいて。ちょうど私の誕生日のタイミングで、外には数メートルの雪が降り積もる厳しい冬の世界が広がっているなかで、私の好みにあわせたあたたかいお食事を作っていただきました。雪を模した食事で祝福をされた感じがして、特別感がありました。
場としては、良い意味でギャップがありました。「難しいなぁ」というか、「面白いなぁ」と思ったのが、私があわ居で表層的に「これがしたい」と願っていたことと、実際に私が奥底で求めていたところに、ズレがあったんです。もっと根本にある、大事な部分を探るような時間になったというか……だから「何かを決めたい!」と思ってあわ居に行ってみたけれど、「これが決まりました」っていう体験にはならなかった。
そもそも何かを決めたいと思っていた奥底には、実は私自身が引き受け切れていないものがあったのだと思います。それが力みになり、身体に力が入ることで、手足が動かせない状況になっていた。あわ居では、そこを丁寧にほぐしていった感じでしたね。「あぁ、私はこういうことを探求しながら生きていくんだなぁ」みたいな前向きな諦めができたというか……自分の重心が定まった感じ。構えが変わるというのかなぁ……「えいや!」って力んで足を踏み出すんじゃなくて、とりあえず歩き続けながら、探し続けましょうという(笑)。そして結果的には、その構え方のほうが、自分の興味のある方向に歩み出しやすかったんですよね。だから、当初の希望とは違うけれど、自分が向き合いたい方向性に対しての必要な腹の括りをした時間になったんだと思っています。答えではなく問いをもらえた時間だったのかな。水平方向に何かを決めるのではなく、垂直方向に自分自身に潜りにいくような時間でした。
あわ居に行った後に印象的だったのが、帰りの電車の中から見た田舎の風景や、家の周りで眺めた夕焼け空がやけに美しく感じたことです。。世界の見え方が変わっちゃった、っていうと言い過ぎかもしれないですけど、「そうそう、もう既に大切なものはあるよね」みたいな。ないと思って、何かを手に入れに行かなきゃいけない、みたいな在り方から、もう既に自分がやってきたこととか、探求してきたことを信じられる在り方になったというか。なんだかすごく抽象的ですよね……だから会う会う人に「良かったから、行くと良いよ」ってあわ居をおすすめするんですけど、でも何が良かったのかはあんまり言えてないんですよね(笑)。
-なるほど……当日はいろいろなお話をしたと思うのですが、特に印象に残っている場面などはありますか?
あわ居を作っていくプロセスの話を、最初に共有してもらえたことは印象に残っていますね。はじめから「こういうことをしたい!」という理想が明確にあって形にしたわけではなく、手探りでやっていったら、今の形に落ち着いたという。今の形はこれとしてあるけれど、今後どうなるかはわからないっていう……その話を最初に聞いて、もうその時点で「いや、そういうものだよなー」ってまずは思ったんですよね。
私は子どもの頃から、最初からゴールが定まっていて、完成図に向けて形を作っていく物事の進め方に憧れがあったんです。「こういうものを作る!」「そこに一直線!」みたいな在り方に。「自分はこれがやりたい!」っていうのを宣言できて、その宣言のまま日々手足を動かせる人に、昔からすごく憧れがあった。「そんなこと言えちゃうのかっこいいなぁ」って。私が関わってきたキャリア教育の文脈でいえば、山登り型タイプですね。山頂に目標があって、達成から道のりを逆算してもくもくと手足を動かしていく在り方。でも私は完全にそういうタイプではなくて(笑)。川下り型のキャリアと言われるんですが、どちらかと言えば、偶発的に人や機会との出会いを重ね、いろんな岸に寄りながら、辿ってきたものを振り返ってみて、「培ってきたのはこれだったね」と後から確認できる、そういう在り方。先に道を決めるのではなく、辿ってきた道に、後で意味がついてくるというか。そういう意味でも、あわ居の作り方を聞きながら、「そうだよなー」って、すごく納得感があったんです。
以降は、私がどのように生きていくのかというところで、傷とか痛みについての話をさんざんした記憶があるんですが、あの時間はすごく良かったですね……キャリアのことで悩んでいたけれど、根本的には自分や他者の傷や痛みにどう向き合っていくのかというところなんだなぁと……私はこれまでアートセラピーとかケアとか、そういう分野に対して関心は持っていたし、ずっとそこに自分の可能性は感じていたけれど、いよいよ本格的に、その可能性の裏にある負の部分というか、自分があまり目を向けたいと思っていなかったものに向き合い、引き受けないといけないんだなぁと。これからアートセラピーや対話を仕事にして人と関わっていく時に、もうそこは避けられないものなんだなぁと。そういう構えの部分で確かな変化がありました。
だからあわ居への訪問後、人の話を聴く場面になったときに、「この人は自分の傷を、こういう形で叫んでいるんだな」と、見方が変わってきているところがありますね。今までもそういった眼差しはあったかもしれないけれど、確信的になってきています。例えばある組織のマネージャーをやっている人が、「部下がこういうことをしてくれない」「部下が使えない」と話してくれた時に、「いやー、困った部下ですねー」とか「もっと頑張ってほしいですよね」みたいなノリで受け応えできてしまうかもしれない。
でもそうではなく、「部下が使えないってどういうこと?」っていうところに焦点をあてていくと、「部下が自分のアドバイスを受け取ってくれない」「自分の思い通りに動いてくれない」という話が出てきて、実はそこに、その人の怒りがあることがわかってくる。そしてさらに話を深ぼってみると、実はその人自身が若い頃に、自分の意思とは関係なく、上司・先輩が言ったことにはすべてイエスと言わなければいけない環境に置かれてきた背景があった。社会はそうやって生き抜いていくものだという、その人なりに築いてきた生存への考え方というか、バイアスみたいなものが見えてくる。そうすると「じゃああなたは、本当にそこで、そうしたかったのか?」「本当はどのように扱われたかったのか?」っていう問いが出てくるし、その人が社会に適応して生きていくなかで受けてきたいろんな傷が見えてくる。自分が受けた傷を、部下に対して再生産しようとしているという構造が見えてくる。そして、こういうことって、結構いろんな所で起きているよなぁって。だから、傷つきとか、加害性、暴力性の裏側にあるものを、触っていかなくちゃいけないんだなぁという気持ちが、あわ居に行ってからより深まっているし、その後いろんな場に行っても、そのテーマが自分に立ち現れてきていますね。
ーあの時にも、「アートは人を傷つけるものだ」という言葉を、私が場に出しましたよね。そして相手の傷に触れようとすると、否が応でも自分の傷に触れざるをえない場面が出てくると思います。つまり、他者の傷に触れようとすると、自分の側にも未解決の課題や、見過ごしてきた傷が浮上してしまう。そこがあらわになってきてしまう。
そうですね。それで言うと、あわ居に行く前の時期は、「他者を傷つけたくない」っていうモードだったんです。けれど、それが無理なんだなとわかったというか……そもそも関係性を育むということ自体が、傷つけあうものかもしれないなと。実はあわ居に伺う直前に友人や知人といろいろあって、そこで嫌な思いをさせてしまったり、私も嫌な思いをすることがありました。でも、深く関わろうと思えば思うほど、それは不可避なんだと。相手の領域に立ち入ることは、自分の領域を曝け出すことでもあるから。尊重し合うことが前提としてあっても、傷つけてしまう、傷ついてしまうことは、そもそも起こるものなんだっていう。そこが腑に落ちた感覚がありました。
もちろん傷の根が深いときや、準備ができていないときは、そこに触れないでおく、離れて距離を取るというのも、自分の安全を守るために必要な選択肢です。けれどもし必要なタイミングがきて、傷を癒そうとするのであれば、その傷つきのもとにあるものと向き合わないといけない時がくる。傷に直面するのは恐ろしいし、痛みを伴うので、とても勇気がいることなんですよね。自分にとって適切なタイミングと準備、共にその道程を歩んでくれる他者の存在が必要になる。私自身、毎回どこまで踏み込み開示しようか、迷いながら間違えながら、癒しのプロセスを進めています。けれど、もしその過程を誰かと共に歩むことができたら、前に進むことができる。
傷つける可能性も含めて関わり合うものだ、と腹落ちしてからは、そういうことを理解し合い、そこでも一緒に何かをしたいという事業者さんや知り合いに出会うことが増えていますね。もちろん変化の一方では、折り合いがつかず別の道を選択することもあるわけで、そこには名残惜しさもあるけれど、でも次にいくためには一旦手放すことも必要なのかなと。手放すことができたがゆえに、入ってくるものがある。私が一番生き生きしていられる事業の形とか、関わり方を提示してくれる人が増えてきている。また、必要なタイミングがくれば、別れたものとも再会できると信じています。
ーなるほど、面白いですね。おそらく傷をつけない在り方というのは、ゆるい優しさというか、結果的に「あまりやさしくないやさしさ」になってしまっている場合もあると思います。でも傷をつけることを覚悟のうえで関わる在り方は、うまくいけば、互いがこれまでのあり方から脱却していくような、ひらかれたものになる。その意味では、後藤さんは、後者を歩んでいかれるということですよね。
例えば、後藤さんがあわ居であの時語ってくださったことも、僕の中では確かに今も痕跡として留まり続けています。「あぁ、そうだよなぁ」とか「そこは自分は出来てないなぁ」といったことを感じて、自分が見ていなかったものが立ち現れ、自分が眼差されている時間が、あの後もずっと継続している。
そう考えたときに、人が他者の話を聴ける範囲というのは、結局は自分が自分自身に関われる範囲でもあるのかなと。「聴きたくない!」って他者の話を中断する時というのは、それを聴くと、自分の中から見たくないものが出てきてしまうから、という場合も多い気がしますね。だから他者を遠ざけておくことは、自らを遠ざけておくことでもあるのだと思います。逆に他者にかき乱されてしまうくらいに踏み込んでいくことは、自分に近づこうとすることでもありますし、自他の境界設定を問い直す契機になるのだと思う。たぶん、他者との衝突や葛藤を伴う対峙の中でこそ見えてくる、それまで覆い隠してきた自身の傷の先にこそ、自分でも自覚できていない自分の姿とか、かつて満たされなかった固有の欲求が存在するのではないかという気がします。この辺りは自分の大きな課題でもありますが。
そうですね、だから触りにいっていますね。友人からも、「なんでそんなに踏み込むの?」って聞かれるんです。「別に避ければ良いじゃん」とか「思ってることは言わずにブロックすれば良いじゃん」って。でも拒絶することは簡単なんですよね。分かり合えない人だから、その人と関わらずに生きていくっていうのは、今の時代すごく簡単にできてしまう。でも、共感できる相手とだけ共感しているのって、桃源郷というか。ある種の気持ちよさはあるのかもしれないけれど、そこに現実感はないと思います。現実はもっと泥臭い。もちろん全ての関係性に対してそのような対処をしていると疲れるから、どのくらいの範囲でやるのかという問題はありますけど、「あなたの言っていることは理解できないし、全然わかんないなぁ」と思いながら、それでも一度その背景を理解しようとしてみるのは大切ではないかと思っています。
少なくとも私の周りにいる人たちとの関係性の中で、自分が批判したくなったり、糾弾したくなったりする相手が生まれた場合は、そこで自分に何が起きているのかをちゃんと見ることが必要だというサインにしています。相手のみを悪者にして糾弾すれば、そこには逆の加害性や排除が生まれる。つまり自分は被害者で正義で、相手は加害者で悪であると規定していると、結果的には自分の傷つきに無自覚なままで、加害性を棚に上げることになる。自分の中にある加害性も認め、その奥にある傷つきや大切にしたかったことに自覚的にならないと、一生被害者でいて、一生相手が悪いって他責にし続けることになる。それが必要な時もあると思いますが、そうなることを、いまの私は望んでいない。
私を含め、全ての人が自分の中にある暴力性を全てなくすことはおそらくできないと思います。でも加害性が自分にもあるという前提で、それでも関わり続けたい。そう思えた出発点が、あわ居のあの時間だったなぁと思いますね。自分が取り扱っていきたい自分との関係性、他者との関係性、創作のあり方。創造、創作の「創」という文字は「きず」という意味を持ちますから。そこには傷との関係が不可避なのだという。だからこそ、そこを問いとして持ちながら、自分の中にその都度湧き起こって来るものに従って、一歩一歩進めていけば、自分のやっていくことは自然と形として立ち現れてくる気が今はしています。だからあの時持っていた「これをやるんだ!」みたいな力みや焦りは、今は消えていますね。
聞き手:岩瀬崇(あわ居)
インタビュー実施日:2025/5/9