「わからない」に身をおくこと

 

 

こんにちは、あわ居の岩瀬崇です。これらの画像は私にとってはトラウマを呼び起こすもので、あまり見たいものではありません(笑)。これは現在のあわ居本棟の土間部分の改修当時の画像で、これを見ると、あの毎週末の悪戦苦闘の記憶があたかも走馬灯のように想起されます。釘とビスの違いすらわからないままに勢いだけでスタートしたDIYでの改修作業は、時に友人の大工や左官屋さん、工務店の力も借りながら、結局三年ほどの時間を要しました。もう少し小さな、例えば現在のあわ居別棟程度のものであればまた話は別ですが、もう二度とこの規模の改修工事をDIYでやりたいとは思いません。そのくらい当時の自分にとっては大変で、毎晩寝る前に現場のことを考えては、うなされておりました笑。(自分でやると言ったのだから仕方ないわけですが)

 

この改修の頃は、「現代における茶室」のようなものをつくりたい、あるいは一読してその筆力に感激した『砂漠の修道院』という山形孝夫さんの書籍に影響されて、エジプトのナイル川の西側に位置する修道院で生じている現象と同質のものをつくりたいと思っていました。こう書いても、全くわけがわからないと思います。わたしも当時は夢中だったので「そういうものをつくるんだ!」と意気込んでいましたが、今冷静になってみると、あまりよくわからない動機だなと思います。そして私たちが今やっているのは、茶室でも修道院でもありません。ちなみに、あわ居と命名する前は、かっこつけて「聴水庵(ちょうすいあん)」という屋号が有力候補でした。建物の周囲に流れる川の水を音を聴くことをコンセプトとする宿「聴水庵(ちょうすいあん)」。あるいは、とりあえず「無」のつく禅語に「庵」か「荘」をつければよいんじゃないかなと思ったりしていました。「無為庵」とか「無窮荘」といった感じで。それっぽさはありますが、随分と背伸びしたものだなと思います。

 

少し話がそれてしまいましたが、何が言いたいのかと言うと、私たちは何がやりたいのか、ここで何がつくりたいのかをわかっていて、あわ居をやり始めたわけではないということです。また空間についても、まったく「こういう感じ」というのはありませんでした。「聴水庵(ちょうすいあん)」とつけようとしていたくらいなので、書道っぽい感じといったらよいのか、和モダン的な感じが当初は落としどころかななどと思っていました。

 

しかし、実際に建物を改修しはじめると、その過程でいろいろなモチーフというのは、身体のどこからか湧いてくるのです。身体と物質のあいだ、その応答の中に、アイデアを自然と立ち上がってくる。またその時期はいろいろな建築をみてまわり、一体この身体がつくりたいと思っているものは何なのだろうと、ちょっと自分を外から観察するような感じで、より違和感のないイメージを探る作業が展開されていきました。その結果、現在のあわ居になったわけです。つまり設計図もなければ、最初から到達したかったイメージもなかったわけです。ちなみにあわ居別棟も全く同じ作り方をしました。というか、そもそも設計図など書けないし、自分は空間や素材に対する想像力があまりよくないので、頭で組み合わせや空間を想像してみても、その結果どのような空間が生まれるのか、そのイメージがわたしには出来ないのです。だったら実際にそこに漆喰を塗ってみて、そこに木を貼ってみて、「これは違うなぁ」とか、「これはこの部分はしっくりくるなぁ」という感じで、試行錯誤を繰り返すしかありません。となると多々、その工程に無駄が出るわけですが、その無駄は、自分の違和感がどこにあるのか、あるいは身体が何を欲しているのか、それを探っていく重要なヒントであり、必要なプロセスなのだと思う。また、ここで自分たちがしたことが「建築」であるなどとはつゆにも思っていません。あくまでひとつの舞台装置のようなものを設置した、そのように整理しています。

 

そしてこのことは、ハードに限らず、ソフトの面でも同様でした。オープン後、いろいろな方々が来訪される中で、「うーん、どんちゃん騒ぎは何か違うな」とか「あれ、けっこう一対一の対話が面白いぞ」とか、「こういう場合は、自分たちはこう感じるなぁ」とか「何かこういう場合だとめちゃくちゃ力が出てくるぞ」とか、そんな感じで自分たちを俯瞰的に知る作業が継続しました。その当時のわたしは、詩や書道に興味があって、まさか対話を仕事にするなんて思ってもみませんでした。むしろ、自分は人の話を聴くことがへたくそだし(今もそれは思います。傾聴などは私にはできません)、そもそも人が苦手だと思っていたので、どうなるものか、人間の人生はわからないものだなとしみじみと思います。自分の内奥の反応を見ながら、また場で起きていることを見ながら、他者の中で起きていることを教えてもらいながら、「あ、自分らはこういう時に力ができるんだなぁ」というのを、実践の中で教えてもらったのです。

 

どうしてあわ居をはじめたのか?と最近よく聞かれることが多いわけですが、これらのことから結論づけるに、「しっかりとした動機はありませんでした」という回答をするのは最も誠実なのかもしれません。一応は茶室や修道院のようなものをつくりたいというのはあったわけなので、まぁそれを答えにしても良いわけですが。

 

とにもかくにも、よく「わからない」状態においても、手を動かすことが重要なのだと思います。よくわからないままに、初めてみることが大事なのではないかということを思います。自分のやりたいことというのは、自分の中にはおそらくありません。今の自分の頭の中で考えつくことを「やりたいこと」とするなら話は別ですが、「やりたいことがわからない」という状態において、既存の言葉の範疇、既知の選択肢、既知の情報から「やりたいこと」に行き当たるべく自分内でぐるぐる思考しても、そこに何かを見出す可能性はほぼゼロに近いように思います。本当は、身体こそが思考するからです。だからこそ身体の思考を起動させる必要がある。

 

そのためには、とにもかくにもまずは手を動かす必要がある。わからない状況の中で、そのプロセスと格闘する必要がある。世界に誘われる必要がある。身体と世界との応答の中で、身体と他者との応答の中で、だんだんと何かを知りえていく。自分や、自分のやりたいことを見出すプロセスは、そういう類のものなのではないかと私は思うのです。主体は自分ではなく、世界であるからです。「わからない」状態においてこそ、その未知の状況の中でこそ、身体は新たな「ことば」を生成します。その「ことば」にゆだねるようにして、その「ことば」を聴くようにして、制作を進めるとき、仕事をつくっていくとき、そこにこそ本当にその人固有の仕事が、かけがえのない仕事があるのだと、そうわたしは思うのです。そしてこれからも、そんな未知なる状況に身を置いて、未明の他者としての私たち自身をあきらかにしたいと、そんなことを思ったりもしています。

 

最後に、本棟、別棟のそれぞれのビフォーアフターを貼り付けます。よく頑張った笑

 

 

あわ居 岩瀬崇