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生の技法

 

 

このところ、連日の雪でしたが、それでも例年に比べれば積雪はやや少ない気がします。今日は晴れ間がのぞいていますが、どういうわけか、雪が降らない日の方が気温は低くなる傾向があるようで今朝は朝6時の時点で-9℃でした。

 

年明け早々の地震で、何かしら自分の中にも亀裂が入ったところがあって、改めて自分の出来ることを考える日々です。来夏の刊行を目指している書籍『あわ居-<異>と出遭う場所』の制作にあたって、年末に実施したあわ居体験者の方へのインタビューと編集作業がひと段落し、この二日間で「vol.13: 小曽根雅彰さん」「vol.14:川合友紀さん」「vol.15:阪上さん 」の3種をWEB上にもアップしました。

 

もともとは、「どのようにしたらあわ居を伝えられるのだろう」という問題意識からはじめたこのインタビューですが、実際にこうして記録が蓄積していく中で、実はこの記録には、それとはまったく異なる記録的な価値があるのではないかということを感じています。

 

 

人生には、これまでの自分の習慣や、既存の解決法を用いていては、決して乗り越えられない場面が多々あるように思いますが、そうした未知の状況をどのように乗り越えたのかという、その生の技法、生への態度というべきものが、インタビューの文章の節々に刻まれているように私は思うのです。ひとりの人間が、「このわたし」において、世界と対峙し、どう世界を解釈し、生を展開していったのか。亀裂を乗り越えていったのか。プライベートな記録であるはずのそうした記録はしかし、どこかで普遍的なものを含んでいるのではないか。つまりこれは、他の誰かが、生の途上、どのように生きて良いのかがわからなかったときの道標として機能することもあるのではないか。そのように私には感じられるのです。

 

あわ居を媒介として、他者から紡がれるそんな「ことば」を、記録し、保存し、公開すること。そのことが自分にも予期していなかったとてつもない重さをもった仕事なのではないかと、そのように感じられる、今日このごろです。

 

 

あわ居 岩瀬崇