今夏刊行予定の『あわ居-<異>と出遭う場所』の制作作業をすすめています。ここ10日ほどの間に、AHA![ArchiveforHumanActivities/人類の営みのためのアーカイブ]という私(わたくし)の記録と記憶のアーカイブ・プロジェクトの世話人である松本篤さんと、岐阜県は恵那市で庭文庫を営む百瀬雄太さんと対談をしました。対談の様子は書籍に掲載すると共に、あわ居のWEBでもご覧頂けるようにしていく予定です。
松本さんとはおよそ五年ぶりに連絡をとったことや、私自身が、松本さんの活動や人となりに対しても非常に尊敬の念を抱いていることもあり、対談中はかなり緊張し、頭が真っ白になったりもしましたが、松本さんの安定感もあり、それでも後から文字に起こしてみれば、不思議なものでそこでもちゃんと秩序は出来ており、非常に読み応えのあるものになったのではないかと思います。松本さんは、記録集『はな子のいる風景:イメージを(ひっ)くりかえす』(武蔵野市立吉祥寺美術館、2017年)や、東日本大震災を〈わたし〉を主語に語り直す『わたしは思い出す I remember 11年間の育児日記を再読して』など、素晴らしいお仕事を一貫して継続されています。
一方、庭文庫の百瀬さんとは、対談実施の前に、いろいろと込み入ったプロセスというのか、かなりの無茶ぶりをこちらがしたことも影響しつつ、でもそれがゆえに重層的で、かけがえのない対話がひらいていったなという感触を持ちました。百瀬さんとは、庭文庫での書籍のお取り扱いを起点に、数年前から交流がはじまりましたが、時に畏れのようなものを抱くこともあり、対談中は「何言われるんだろう」とかなりびくびくしたりもしましたが(笑)、対談で展開された内容に、自分自身、非常にエンパワメントされたというか、あわ居でやっていることって大事だよなと(笑)、改めて鼓舞された次第です。
どちらについても対談の内容はまだ編集中のため、ここには掲載できませんが、百瀬さんが対談後、SNSに書いて下さった文章を個々に引用したいと思います。
●以下百瀬さんのインスタより引用
岐阜県郡上は石徹白にて、「あわ居」という場を営む、岩瀬崇さんと、オンラインで対談をした。「あわ居」って、いったいなんなのだろう、どういうことをしているところなんだろうという、「あわ居」にまつわる僕個人の解釈から、対話をはじめるとのご依頼で、彼の既刊最新本である、『ことばの共同体』や、「あわ居」のHPに載っている、「あわ居」の滞在経験者へのインタビューや、「あわ居」周辺の関係者との対談記事を幾ばくか拝読し、今日に臨んだ。
あまりうまく話せたなという感触は、なかったが、とりあえず幾ばくかは僕の思うところの「あわ居」や、その「あわ居」を営むことになった岩瀬さんの生の流れやその萌芽について、すこしばかり、お話をさせていただいた。「あわ居」についてまず言えるのは、そこが、「ことばの生まれる場所」であるということだ。実際にその言葉は岩瀬さんも使っておられ、対話や食事や、それから石徹白という白山信仰の拠点であった自然豊かな土地に建つ家での非日常的な時間を過ごすことなどは、インタビューを読むかぎり、そして岩瀬さんの本を読むかぎり、人間の生と密接にむすびつく、その個々の固有の生のあらわれとしての〈ことば〉を表出させるのに、きわめて有効な時と場なのではないか、と、いまだ僕は「あわ居」に行ったことがないので、記された言葉を通じて推察するばかりだが、思う。
岩瀬さんは書家であり詩人である。書や詩の、いや、彼のなかでは〈出来事としての詩〉を刻印することとしての、文芸としての書や詩にあたるのだと理解しているけれど、そうした芸術的営みのなかで、彼自身、何度も死に、そしてまあたらしく生まれてきたようである。それは彼を生成し続けてきた。そのうえで今の彼は文芸としての詩よりもより広く深く開かれた場所に向き合われようとしているように、僕には思われる。
〈出来事としての詩〉というのはなにも文芸としての詩作品という形態を成して紙面に定着されるものばかりを、意味しない。それは出来事なのであり、たとえば、異なる他者とある時空を共有しながらの、口から生ずる〈詩〉もあるだろうし、生命とも言えるその彼の〈ことば〉というものが指すものは、たとえば、若松英輔さんなどもよく指摘されているが、井筒俊彦さんが使った〈コトバ〉などに近しいものだと僕には、思われる。若松さんなどはエッセイのなかで、そうした思考を引きながら、いわゆる言語芸術以外の、絵や造形や音楽その他の芸術形式においても、それぞれの〈コトバ〉の現われがあることを、指摘する。
もっともその点については、僕は異なる理解をしており、絵や造形や音楽などについて僕はそこに〈コトバ〉や〈ことば〉という言葉を、使わないけれども、それぞれの〈思考〉があるという言葉は、使う。言語を超えたところに在るものにたいしての、どのような言葉を使うのかという、違いが、そこにはある。
「あわ居」で営まれる「ことばが生まれる場所」というものでは主に、岩瀬さんとの対話や、奥さまの手料理、その他、さまざまな「居る」ことを通じて、岩瀬さんという〈異〉、岩瀬さんの奥さまという〈異〉、すなわち、異なる存在としての他者と出逢い、その他なる者たちとの対話を行うようだ。インタビューを読むと、そうした対話のなかで、それぞれにみずからの囚われや抑圧に気づいたり、こうでなくてはならないと考えてしまっていた、その思考の構造に気づけたりとし、そうしてその変容をまた普段の日常に持ち帰り、反芻しながら、それぞれのペースでそれぞれの方が変わっていかれた様子が、そのインタビュー記事から、感得される。
異なるもの、他なるもの、それにふれ、自なるものが相対化されたり、開かれたりする。そうした存在の開かれ。思考の開かれ。生成。精神医学的なカウンセリングでもなく、コーチングでもなく、特異なその時と場で、なんらかの役割をではなく、それぞれにかけがえのないその人として、対話をすること。
「あわ居」が開いている時であり場というのの、そのかけがえのなさのひとつには、そういう、個と個が私的に向き合い言葉を交わし、そこにその身体に固有の言葉が、そして言語をも超えた生の変成、生成が開かれる、そしてその生成を促すものは、岩瀬さんご夫婦という人間だけでなく、たとえば石徹白の山々や、外に降る雨の音…非人間たちでもある。
言語を超えた異なる者たち、他なる者たちとのやりとりには、言語を超えた〈対話〉が、あるだろう。日常の生活から離れた場所で、一時そういう〈ことばのやりとり〉のある時と場に身を置くことでひらかれるものがある。「あわ居」が機能するのはそうした〈人間と人間のあわい〉や、〈人間と非人間のあわい〉、それらさまざまな〈あわいに居る〉ことで、生が変わり、よりその人らしくなる。
「あわ居」という場がもつ機能、意義には、そうしたところがひとまず、あるのだろうと、僕は推察している。みずからが変わるのは、みずからの外に出ることであり、外に出たらそこには、異なるものが在る。それにふれる。それに交わる。交わりながら変わってゆく。あらたに生まれてゆく。死にながら、外へ、あらたに、生成する。
(引用以上)
こんな感じで展開された対談記事の公開、またそれらが掲載される書籍『あわ居-<異>と出遭う場所』の刊行を、ぜひ楽しみにお待ちいただければ嬉しいです。明日は、こちらも私が強く影響を受けている教育学者の井谷信彦さんとの対談です。今から緊張感はありつつ、それでも良い時間がひらかれていけばということを思います。井谷さんの著書については『存在論と宙吊りの教育学』や、これまた私が尊敬し、影響を受けている教育学者の矢野智司さんとの編著『教育の世界が開かれるとき―何が教育学的思考を発動させるのか』あたりをおすすめします。近代教育が進めてきた「発達としての教育」に対しての、矢野さんの提起する「生成としての教育」については、『贈与と交換の教育学 漱石、賢治と純粋贈与のレッスン』を推します。
石徹白は、日中は10℃を超えることも増えてきました。道中は雪もなく、よっぽどのことがなければ二駆スタッドレスでアクセス可能です。温かく過ごしやすい感じになってきましたので、ぜひご来訪をご検討頂けたら嬉しい限りです。
岩瀬崇