おはようございます、あわ居の岩瀬崇です。昨日から開始した書籍『あわ居-〈異〉と出遭う場所-』刊行にむけたクラウドファンディング。開始から20時間ほどで、165,000円ものご支援をいただきました(22%達成!)。ご支援いただいたみなさま、またSNSなどでシェアしてくださったみなさま、本当にありがとうございます(開始前からずっとメンタルが崩壊しそうでしたが、なんとか踏みとどまれそうです笑)。
以前の記事でもご紹介した通り、今回の書籍『あわ居-〈異〉と出遭う場所-』では、人類学、アート、場づくり、文学など計6名の各領域の専門家とあわ居主宰の岩瀬崇の対談記事を掲載予定ですが、その対談集のなかから、さきほどあわ居のホームページ「記録集(インタビュー・対談)」に、武庫川女子大学教育学部准教授で教育学者の井谷信彦さんとの対談記事「わからないという賭け」を、アップしました。書籍掲載予定の全文が無料でご覧いただけます。
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井谷さんのご専門は教育哲学、臨床教育学。これまで『教育の世界が開かれるとき(世織書房、共編著)』、『教育学のパトス論的展開(東京大学出版会、共著)』、『存在論と宙吊りの教育学(京都大学学術出版会)』といった書籍を出され、受苦、情感、即興なといった現象に関心を寄せられています。
私自身はコロナの自粛期間に井谷さんの論文や書籍とであい、とりわけ教育学者のボルノウの「希望」についての井谷さんの考察を拝読したことで、当時の行き詰まりに対して、非常に爽快なインスピレーションをいただきました。その流れのなかで、昨年初めてメールでご連絡をしオンラインでお話させていただいた流れから、今回の対談の実現に至りました(ですので、何を自分がしゃべっているか自分でわからないくらいに、非常に緊張しながらの対談でした)。
今回の対談では、不確実さを抱えながら展開するあわ居の時間について、「外部」「賭け」「かけがえのなさ」をキーワードとしながらその実像に迫っています。あわ居という場の特性をご自身の専門領域にひきつけて批評していただいたこの対談記事は、私たちにとって本当にかけがえのないものだと思っています。
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対談「わからないという賭け」
目次
・知らない人だからこそ
・外部に接触する
・コンピテンシーとエージェンシー
・未知に飛び込む
・かけがえのなさをめぐる
・部分と全体
・隔たりと重なり
・わからなさという余白
・原初の場所へ
・二重性あるいは共同性
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以下は本文より部分引用:
井谷:
さきほどまでの(あわ居の改修に関する)お話をお聞きしながら、特徴というのはぜんぶ代替可能なんだなぁって思っていました。
岩瀬:
なるほど。
井谷:
顔がかわいいとか、優しいとか、料理が得意とか。ペンキ塗りがうまいとかね。こうやって特徴を挙げていくと、ぜんぶ代替可能になる。道具についても、自分がこだわっている細かな特徴を挙げれば、じゃあそれを作りますよという話になる。あわ居で言えば、部屋の間取りはこうで、ここに窓があって、こういう料理が食べられて……みたいに、特徴を挙げていけばいくほど、代替可能になっていく。それがすごく面白いなぁと。つまり、そういう特徴をもって、それらをかけがえがないとするわけではないということですよね。むしろ、特徴を挙げていけばいくほど、「じゃあそれ東京でも作りましょう」というふうになる。同じコンセプト、同じ特徴でとなったら、「じゃあ東京でも」となりえる。ときどきありますよね、それで失敗するという(笑)。
岩瀬:
(笑)。このあたりのお話は、いわゆるブリコラージュの話に接続してくるような気もします。人間が目にできるのは、あわ居で言えば、ここに窓があり、石徹白という土地に建物があり、壁は土と漆喰で、という個々の要素ですけれど、それはあくまで表に出ている部分にすぎません。そこでもう一個レイヤーを下げて見ると、実はそれらの要素間には、私たちなりの線というのか、有機的連関がおそらくあります。つまり何が言いたいのかと言うと、最終的に目にみえるところで、いろんな要素が表に出ているとしても、やはり全体としては、要素には還元できないものがそこに現われているのではないかと思うんです。
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是非、お時間のあるタイミングに覗いていただけると嬉しいです。それでは引き続き、クラウドファンディングへのご支援、ご協力をよろしくお願いします!
あわ居 岩瀬崇