体験者インタビュー集

 

 

vol.13:

       Yさん/2002年生まれ

2023年5月に「あわ居別棟」に2泊3日滞在後、

「ことばが生まれる場所」に参加

(計3泊4日)

 


 

 

-まずは、あわ居にご来訪頂いた時の、Yさんご自身の状況や動機についてお話頂けますか?

 

 

動機としては、知人におすすめされたのがきっかけです。その時の僕の状態としては、二〇二一年の二月に当時一歳三ヶ月の一番下の妹を事故で亡くした中で、将来への不安を感じていて。自分が何をしたいんだろうとか、自分とは何者なんだろうっていう部分でひっかかるものがあって。自分と対峙する時間を欲していたというのがあります。あとは大学に通いつつも、リモートワークを中心として、毎日フルタイムで働くような生活をしていたので、仕事をしない時間をあえてつくりたかったというところもありました。オンラインでの無料相談で、崇さんにそうした背景をお話しする中で、「あわ居別棟」で二泊して、そのあとに本棟の「ことばが生まれる場所」に参加するのが良いのではという話になり、滞在を決めました。

 

それで実際にあわ居に来て、まずは別棟に二泊したわけですが、最初はまず「何をしたら良いんだろう」っていう状態で。何か持て余しているなって。それに対して葛藤する気持ちもありました。あとは日常の中で、楽しいと思いながら働いている仕事に注力しすぎて、仕事と生活とのバランスが、仕事が八割、生活が二割っていうような感じになっていたんだなっていうことを感じて。その中でまずは、チェックインの時に崇さんにおすすめされた東畑開人さんの『居るのはつらいよ』って本をちょっと読んでみようかなって。

 

僕は本に触れる機会がもともと少ないタイプなので。その本は、三〇〇ページくらいあったから、読み切れるかなってドキドキしていたんですけど。そういう意味では、何かをしないといけないではなくて、自分がやりたいなと思うこととか、普段できていないことに触れてみるっていう時間が別棟の滞在では作れたのかなって思っています。あとは、ただぼーっとする時間だったり。仕事をしようと思えば仕事をすることも出来る環境ではあったわけですけど。ただ呆然としながら、ただ居たっていうのか。

 

 

ー何かしなければとか、もてあましているといった感覚はどのくらいまで続いたのでしょうか?

 

 

最初、別棟にチェックインをして、すぐに白山中居神社に行ったんです。その後、そのまま石徹白の大杉も見に行って。その時は、観光みたいな感覚で、持て余している感じも特になく。それで別棟に帰ってきてからも、ご飯をつくるっていうところまでは特に何も感じなかったのですが。ご飯を食べ終わって、普段だったらパソコンをひらいて仕事をするけれど、別棟ではパソコンは閉じたままにしておくって決めていて。その時に「あれ、僕ってこういう時間、普段だったら何してたんだっけ」って。

 

当たり前だと思っていた仕事をするっていうことが、実は別にやらなくても良いもので、でもそれをすることを、当たり前みたいに思っていたんだなって。で、何したら良いんだろうって。一日目の夜はそこで葛藤していた。で、次の朝起きた時には、その持て余すっていう感情はなくなっていましたね。生活をするじゃないですけど、何をするでもなく居ていいんだなって思えたというか。

 

求めるところが、変わったというか。自分がその場所、その時間に求めるものと言ったら良いんですかね。たぶん環境に慣れていなかった所もあったのかもしれない。そこの環境に順応していなかった感じがあったというか。でも別棟で生活する中で、「あ、ここ居心地が良いな」って。慣れを感じていったところがあった。そこで生活することに慣れたから、あの場所に居ることにドキドキしなくなった。ここに居てもいいんだって。

 

自分自身、色んなところに行くこととか、遠出をすること自体には慣れてはいるんですけど。出張で宿泊をするとか、旅行で宿泊をするっていうことだと、宿泊をする理由が、仕事のためにホテルに泊まるとか、観光のためにここに泊まるっていう形で、理由付けができると思うんです。でもそういう理由付けが別棟は難しいなと思った。「何をしても良いよ」っていう状態になった時に、何を選べば良いのかっていうところで。で、一日過ごしてみて、ただ居続けるっていうのか、無理にそこに理由づけをする必要もないんだなって思った所があったんだと思います。

 

 

-することが決まっている滞在には慣れていたけれど、特にすることもない状況に投げ込まれたときに、少し戸惑いがあったというですね。「ここに居てもいいんだな」っていう感覚が立ち上がってからは、どんなことをされていましたか?

 

 

本を読んだり、珈琲を淹れたり。お茶を飲んだり。生活の質が高かったなと思いますね。食事の時に時間を感じるっていうか。朝昼晩、おなかが減ったらご飯を食べるっていう。普段はやっぱりすぐに時計を見る環境にいるので。時間を気にせず、ゆったり過ごすっていうところがあったと思います。

僕の中で、ひとり憧れている人がいて、その人が、素敵な暮らし方をされているんです。例えば、朝、珈琲豆を挽き、珈琲を淹れ、珈琲を飲みながらゆっくり本を読むみたいな感じで、ひとつひとつの時間を大事に過ごしている。その方をみて、僕は「生活の質が高いな」って思うんですが。それと同じことではないですが、少し近しいことが出来ていたのかなと。

生きる上でお金を稼ぐことは必要な部分だと思っていますし、別に仕事をすることが悪いことだとは思いません。他の人からみれば、出勤がなく、リモートワークで働いてっていう僕の日常の働き方をうらやましいと思う人もいるかもしれない。でも僕は逆に、パツパツな生活ではなく、自分との時間というか、ゆとりを持って暮らしているその人の生活をうらやましいなって思うところがあって、僕もそういう生活が出来たら良いなって思う部分がある。

 

 

-「自分との時間」というのは独特な言い方ですね。

 

 

仕事をしているのも自分との時間ではあるんですけど・・・(笑)。けれど、どこか観点が違うというか。仕事の時間は目的がはっきりしている。お金のためにとか。でも珈琲を淹れるのは、別に淹れなくても良い。それをやらなくても良いけれど、でもオプションとしてそれをあえて自分でつけている所があると思うんです。本を読むのもそうですよね。

 

 

-その意味では、目的がないとまでは言わないけれど、やらなくても良いのにやった行為があわ居別棟滞在中にはあったということですかね。

 

 

そうですね。本にしても珈琲にしても、お茶にしても・・・。ただぼーっとその場所に座っているだけっていうのもありましたね。寝転がるわけでもなく、二階のソファーにただ座っていました。もちろん色々と考えちゃうんですけど。

あとは、二日目の夜の話で言うと、別棟においてあったメモ帳とボールペンで色々と書き出すっていうこともしていました。なんか感情がモヤモヤしてきて。本を読んだり、自分の時間を大切にする中で、それでも「今後自分はどうしたら良いのかわからない」っていうのが出てきてしまった。「そもそもなんであわ居に来たんだっけ?」とか。自分に問いを持ってしまって。

 

それで、「これは何なんだろう」って考えていった時に、自分の中で二〇二一年に当時一歳三ヶ月の妹を事故でなくした経験がやっぱり大きくて。そのあと、「(妹にとって)かっこいい兄ちゃんでありたい」って思って頑張ってきたけれど、でもそれって結局僕のエゴでしかなくって。妹はおそらくどこかで見てくれているとは思うんです。でも妹にまだ縋っているというか。妹にかっこいいと思ってほしいっていうところで、動機付けをして、前に進もうとしている。その動機づけに妹を使っているだけなのかなって思ったり。

 

勿論、前提として、その動機づけがあったからこそ、前に進めたっていう所はあったとは思うんです。でも結局、それって本当に自分の人生なのかなって。妹の為にとか、何かのためにっていうところで理由をつけて、もしそれでうまくいかなくなったときに、妹に責任転嫁出来てしまうよなって思って。あの人のためにやったからこういう失敗になったとか。自分のためにそれをやるのではなく。

 

妹のためにここまで突き進んできて、ここまでは成功というか、良かったなって思う。そこはポジティブに頑張れたなって思うんです。でもこれからもし人生で大きな挫折をして、その時に、「妹にかっこいいって思われたい」っていうモチベーションでやってきたことが失敗だったって自分が思ってしまうことがあったとしたら。妹との思い出がネガティブなものに変わる可能性もゼロではないというか。嫌いになったり、そこに責任を押し付けたりして。自分のエゴで前に進めてきたのに、責任を押し付ける矛先があるっていうことに、その時モヤモヤしてしまって。で、どういう感情の中で、自分は妹にかっこいいと思われたかったんだっけとか。妹との思い出とか、いろいろバーっとメモ帳に書きだしたんですよね。

 

 

-妹さんがなくなって、「かっこいい兄ちゃんでありたい」と、わりと突き進んできた中で、その動機づけが少し揺れたというか・・・。

 

 

そうですね。何をもって自分がこれまでやっていたのかがわからなくなったというか・・・。なんでなんだろうって。なんで自分は「かっこいい兄ちゃんでありたい」って思ったんだろうって。自分の人生っていうテーマがありつつも、でももともと僕は「この人が笑顔になったら良いな」みたいに、他人を優先するところがある。その中で自分のことをないがしろにしてしまっていたなっていう過去もいくつかあったりして。だからこそあらためて、自分のために生きるとか、自分中心の生き方っていうのが何なんだろうって。そういう問いが生じてきたというか・・・。

 

 

-日常の中では実は深い部分では感じていながらも、ないものとして扱っていたものがポコッと出てきたというか。日常の自分に対して距離が出来たというか。いつも自分を見ている視点とは違う視点がそこに生まれているようにも感じますね。日常の自分に対して「あれ?」みたいな。

 

 

そうですね。そこはあったと思いますね。時間に余裕があったっていうのも要因としてあったと思うんですよね。非日常的な時間だったからこそ、日常のいつもの自分に対して目をむけることが出来たというか。

あとは妹についての記憶が少し想い出せた部分もあった気がします。妹が溺れたのが二〇二一年二月だったんですが。救急に運ばれ、小児医療センターに運ばれ。妹は十二日間くらい延命をされながら・・・。でも「絶対回復する」「一緒にまた生活が出来る」って思いながら、ずっと病院に通っていて。それが二週間もなかったのに自分たちの中では三ヶ月くらい経っているような気がしていた。それで妹がなくなっても、そのことを受け入れられなくて。僕はその時高校三年生だったので、その後、高校の卒業式を三月末に終えて。

 

自分にとって妹はとても大切な存在で、また明日の朝に「おはよう」って言いにいくっていうのがその時の自分のルーティーンだったから。それがぽっかり抜けてしまったところがありました。前に進まないといけないけれど、親や兄弟が悲しんでいる姿がそこにはあって。親が夜泣いているのを聞くとか。すすり声が他の部屋から聞こえてくる。自分にとって、この家にいるのが苦しくなってしまった。だからなんとか前に進もうと思って、自分の奥底の潜在的な部分に向き合うことに蓋をしたからこそ、そのあたりの記憶が抜けていたというか。その時は、前に進もうっていう気持ちしかなかったから、すっぽり抜けてしまっているなっていうのは今でもありますね。

 

 

-完全に想い出したわけではないとは言え、そのあたりの記憶が少しだけ、別棟滞在中に立ち上がってきたわけですね。

 

 

そうですね。映像として出てきましたね。妹が溺れて、僕が救急車に同乗したんですが。その車内での様子であったりとか。妹が救急車から降りて、親が待合室に来た後に、「この病院では集中治療を提供することが出来ないから」と告げられて、小児医療センターに運ばれた時のこと。僕と母と姉はそこで、勿論不慮の事故ではありつつも、警察に事実確認を受けたんです。署に行って、「相談室で話を聞かせてください」って言われた。それで家に戻って、寝て、次の日にまた病院に行って。そのあたりはすごく忙しなかったんですが、でも僕たちは生きないといけないし、なんとかやっていこうって思っていた期間だったから・・・。そのあたりのことが、記憶から抜けていた・・・。その時の記憶を別棟で想い出して、苦しくはなったんですけど。所々の記憶は勿論元々あるにはあったんですが、でもすべて繋がっていなかったというか。時系列を忘れるくらい忙しかった。なんとか無理にでもやろうとしてたっていうところがあった。だから十二日間の流れですかね。そのストーリというか、妹の身体にどんな変化があったかとか、家族が「なんとかしよう」って思ってたところとか。そういう時系列で繋がっていなかった所。なんで「かっこいい兄ちゃんでありたい」って思っていたんだっけっていうことなどを考えている中で、その十二日間のことを想い出したのかなって。で、こういう二日目の夜のモヤモヤは、三日目も持ち続けていたとは思うんですが・・・。まぁでも三日目はまた珈琲を入れ、本を読み、お茶を飲み・・・みたいなことをしていた感じですね。

 

 

 

-そういった流れの中で、最終日に、本棟に移動して、「ことばが生まれる場所」に参加されたわけですが、その時間はいかがでしたか?

 

 

うーん・・・。本棟に移動してまず、「人の声が聞こえるな」って。やっぱり僕は家族が多いので。誰かが居るっていうのが当たり前で、一人でいるっていうことがなかなかなかったから。変な感じでしたね。一人になるのも大切だけど、人の声がするっていうのも、僕にとってはかけがえのないものなのかなって、まずは感じました。

あと、僕の中で特に印象が残っているのは、崇さんや美佳子さんと対話をしている中で、自分の感情が素直に出たりとか、その中で自分についての問いを投げられたり。いろいろと引き出されていったことです。あとは、崇さんと二人で話しているときと、美佳子さんを交えて三人で話すときとで、がらっとその場の雰囲気が変わったことも印象的でした。誰と話すかによって、自分の感情やテーマ、言葉選びが変化した。

 

 

-対話の内容的な部分ではいかがでしたか?

 

 

そうですね、妹の話も含めてかなりセンシティブな話を、感情を出しつつ出来たのかなっていう印象は残っていますね。あとは仕事の話。僕がどういう道に進めば良いのかっていうところで。このまま正社員になって、リモートでフルタイムで働くことを続けて良いのかとか。結局自分がどういう人間になっていきたいのかっていう部分をお話した記憶があります。

 

 

-仕事についての話で言うと、こういう可能性も考えられるんじゃないかとか、こういう解釈もあるんじゃないかといったことを、私たち自身も積極的に対話の中で場に出していたということをよく覚えています。今のYさん自身の価値観とは少し異なる意見とか、違う角度からの解釈とかを積極的に扱ったというか。

 

 

そうですね・・・。それについては、その時は悲しかったというか・・・。淋しかったのかわからないですけど・・・。自分が自分で良いと思って選択しようとしていることや、今考えていることに対して、「こういう意見もあるのでは?」とか「こうも考えられるんじゃないか?」みたいに、色んな話をして頂いた。そのときに、モヤっとした感情があったんですよね。今になってみれば、それも良かったとは思えているんですけど。

 

 

あわ居から家に帰る途中、車で運転している時にも、けっこうモヤモヤした感情があって。なんか、楽しかったとか、行ってよかったとは思いつつ、わざわざ遠出して、「それってどうなの?」っていう問いを投げられたこととか、そこでの言葉を「ありがとう」って受け取れない自分がいることに対しても葛藤していました。あとは「せっかくこういう時間を作ったのに」っていう感情もたぶんあったんでしょうね。

 

つまり自分の中で、あわ居に行ってみても答えは出なかったんですよ。自分が何者なんだっていうことに対しての答えが。滞在の中で、これという答えが出てこなかった。今になってみれば、答えが出てこなかったということに対して、もう少し冷静に見れるわけですが。でもその時は、答えを求めていたので。答えを求めてあわ居に行った。「これが答えだ」っていうのが欲しかった。だから、答えを持って帰れなかった時に、「なんの為に来たんだっけ?」とか「求めていたものが得られなかった」って。結局、あの時の僕は何かを求めていたんでしょうね。

でも、これは一ヶ月とか二ヶ月くらい経ったあとですけど、あわ居で撮った写真を見返していた時に、「あ、あわ居に行って良かったな」っていう感情が出てきたんですよね。

 

 

-それまでは割と「行かなきゃよかったな」みたいな・・・(笑)

 

 

あ、いや、行ったことに関してはポジティブに捉えてましたけど、その時得たかったものは得られなかったから・・・。でも大きかったのは・・・。あわ居から帰った後にちょっと人間関係でいろいろとあって。そこで自分の感情と向き合ったり、自分がどうありたいのかを改めて考えるような時間があったんです。その時に、こういう風に自分と向き合っていた時間があわ居だったんだなって。あの時、あわ居で出てきた感情が、自分にとって良いものだったんだなっていう風に思えたんです、それで写真を見返しながら、「行ってよかったな」って。

 

当時は、求めていたことを答えとしてもらえなかったっていうところにモヤモヤしていた自分がいたんですけど、そこに対して腑に落ちたというか。「あの時行って良かった」って思えたことが、答えだったんだって思っても良いのかもしれないなって。モヤモヤしたことも含めてあの時、いろんな感情が出てきたことは、自分と向き合う練習の時間だったんだって。そういう時間をあわ居で作ることが出来たのかなと今は思っています。その意味では、向き合うことが出来ていなかった自分に、モヤモヤしていたのかもしれない。

 

 

-なるほど。私たちとしては、「ことばが生まれる場所」の時間で色々お話する中で、割とYさんは整合性がとれているという印象がありました。こういうことがあって、だからこうなって、だからこれからはこうしようと思ってます、こう考えていますといった感じで。逆に言うと、整合性がとれすぎてしまっているのかなという風にも感じて。勿論それはそれで一つの秩序を形成しているわけなので、悪いことではないとは思いつつ。でもその中で、将来への漠然とした不安をはじめとするモヤモヤを、Yさん自身が感じているという事実はあったわけで。だからもう少し余白というか、ざらつきがあっても良いのかなとは思ったんですよね。「そうだよね」ってわたしたちが頷いているだけでは、どこか勿体ないというか。だから、別に押し付けようとしたわけではなく、可能性として考えられることとか、今のYさんの思考の枠の外にあるような考え方を、いろいろと対話の中で場に出していったという背景がありました。だから、Yさんがその中でモヤっとしたとしたのであれば、私たちとしてはそれは良かったなって思いますね。

 

 

価値観のズレではないですけど、「僕はその価値観は持てないなぁ」っていう部分もあったと思うんです。自分とは違う価値観を聞きつつも、これから自分が選択していこうとしている進路や生き方の中では、その価値観はマッチしないところがあったので。だからこそモヤっとしたところもあったと思います。勿論今も、その違う価値観を受け入れられる程、変われたかと言ったらそういうわけはなく。あの時、価値観や考え方の違いを話しているときに、僕は否定されているのかなっていう風に思ってしまった部分もあったのかな。

 

でもああやって違う価値観の話を聞いたからこそ、「あ、そういう考え方もあるんだな」っていうところで、種というかエッセンスというか。自分はすぐにそれを取り入れようとは思わないけれど、例えば二年後とか三年後に、もしかしたらそういう価値観が腑に落ちることがあるかもしれない。なんでもかんでもすぐに受け入れる必要はなくて、自分が必要だったら受け入れればいいやって思えた。

 

普段の生活の中で、なんとなくいつも同じ仕事をするとか、いつも似たようなことをすれば、表からみればうまくいっているように見える。でもそこで何か変化が生まれてるのかと言ったら決してそうではなくて。モヤっとしたものを感じるからこそ、「本当にこれで良いんだっけ?」って考えることができるって今は思える。そういうものを感じなくなると、変化することも受け入れにくくなってしまう気がします。

 

 

-現代は、いろんなことをすぐに変換してしまう時代なのかなと思っています。「これだったらこれをすれば良い」とか「こういうことは、こう解釈しておけば良い」みたいな感じで。そういう意味では、そのモヤっとしたものを一旦解釈しないというか、変換しないというか。わからないままにしておこうって思えた部分もあったんでしょうか?

 

 

わからないっていうことを、人に言うことが苦手だったんですよね。自分の中で「わからない」って認めることも。今の自分で解釈をしようとしても、よくわからない、でもその「わからない」って感情を持っているのが嫌だから蓋をして、「次に行こう」ってやっていたんだと思います。その意味では「わからない」っていうことを受け入れても良いなっていうことを思えたからこそ、モヤっとするものに対しても楽しむ姿勢でいたいなって思えたのかもしれない。

 

 

-すぐには受け入れられないし、すぐには自分の栄養として吸収できないけれど、でも若干気になった部分があった・・・?(笑)

 

 

そうですね。最初から「無理です」じゃなくて、中途半端に、ふわふわ置いておこうって。イエスとノーで判断するのではなく。そういうものを自分の中に置いておくボックスが出来た部分もあったのかもしれない。モヤモヤしたけれど、でもその感情が、自分にとっていつか役に立つかもしれないというか・・・。自分の中でひっかかる部分があったり、何か感じるところがあったということだと思うので。

 

 

インタビュー実施日:2023年12月5日

聞き手:岩瀬崇