体験者インタビュー集

 

 

vol.16:

       日暮辰哉さん /  2001年生まれ

2024年3月に「あわ居別棟」に3泊4日滞在後、

「ことばが生まれる場所」に参加

(計4泊5日)


 

-まずは日暮さんがあわ居に来訪された際の、背景や状況についてお話いただけますか?

 

もともとあわ居のことは、だいぶ前から知人を介して紹介されていました。それで、大学卒業を控えたこのタイミングで、あわ居という場所の力を借りて、自分になにか変化を起こしたいなと思って。このタイミングで行ったら、自分の中に何か良いことが起こりそうな気がしたので、それで行ってみようと。今まで僕はすごく悩みが多くて……例えば両親の関係がうまくいっていないとか、自分のセクシュアリティ(*1)のこととか、付き合っている人との関係とか……そういう悩みを、なんとかしようとしてもうまくいかなかったり、自分の望む方向とは違うところに行ってしまったりしていて……すごく嫌な感じのままで、それでもずっと頑張り続けてきたんですが、でももう自分ひとりで頑張るのが嫌になってしまっていた、そういう状況でした。

 

 

-最初はオンラインの無料相談の窓口からお問合せいただきましたよね。そこで日暮さんの当時の状況や背景について話を伺いながらプランを検討し、結果的には、別棟に3泊4日滞在した後に、本棟の「ことばが生まれる場所」に参加という、計4泊5日の滞在になったわけですが、まずは別棟での時間はどのようなものでしたか?

 

 

まず初日の話をすると、僕は公共交通機関であわ居までアクセスしたんですが、別棟で使用する食材を買うのを忘れてしまいました(笑)。そこでは崇さんや美佳子さんが助けてくれて、食材を分けてくれたり、翌日、ついでの用事があるからとスーパーの近くまで車で乗せていってくれたりして、なんとかなったわけですが……。

 

それで別棟では、最初は主に読書をしながら時間を過ごしていました。崇さんが事前に選んでくれた本のなかで、安富歩さんの『生きる技法』や深尾葉子さんの『魂の脱植民地化とは何か』が特に気になりました。特に『生きる技法』の方は、自分のなかで共感するものが多くて。「表面的な平穏さは、毒である(*2)」という言葉がその本の中にあったのですが、それは今の自分をすごく表現しているなぁと。

 

それで三日目になって、その日も読書をしようかなと思って、しばらく読んでいたんですけど、でもなかなか読書に身が入らなくて。それでちょうど外が晴れていたので、せっかくだから外を歩いてみようと思って、午後の二時半くらいから外に出かけました。別棟のすぐ近くに、大師堂への階段があるのが見えたので、最初はそこに向かってみたんです。でも階段に雪がめちゃめちゃ積もっていて足場が悪いし、階段をのぼった先も、入って良いのかどうかがわからなかったから、そこは途中で引き返しました。それで、初日に渡された石徹白のマップを見ながら、白山中居神社とか長走滝(*3)がある上在所のあたりが面白そうだなと思って、そっちに行ってみることにしました。

 

その方角を目指しながら、最初は車が走るような大きい道を歩いていたんですけど、でもその道を歩いていたはずなのに、どんどんどんどん雪の積もった道を自分が歩いていることに気付いて。しばらくしたら、そこが道なのか畑なのかもよくわからないくらいに、雪が積もっているところに入ってしまって。でもそこを歩かないと奥には進めなくて……そこで一瞬、「引き返そうかな」とも思ったんですけど、でもせっかくここまで歩いてきたわけだから、なんか引き返したくないなって思って。そのまま歩き続けることにしたんです。

 

 

ーその時は、たしか靴を履いていらしたんですよね。

 

 

はい。運動靴でしたね。事前のメールで、崇さんからも「雪が多いので長靴をおすすめします」とか「靴下も二重履きを」とか言われていたんですけど、でもまさか、こんなに雪が積もっているはずはないと、どこかで思っていたので……なので、靴と足の間に雪が入り込んじゃって、もちろん靴はべちょべちょで、めちゃめちゃ歩きづらかったですね。

 

でもそうやって歩いているなかで、一瞬、自分の歩いてきたところを振り返ってみたんですよ。そしたら辺り一面、雪が積もっているなかに、自分の足跡がはっきりと残されていて。それを見ながら、自分のなかでどこか嬉しい気持ちになったんです。自分と石徹白の世界との関係性が見えたというか……自分が歩いたことで、この真っ白な場所に足跡がついているんだ、っていうふうに思えた。なんだろうな……その嬉しさもあって、もっと奥に進んでみようって思った。

 

進んでいくなかでは林みたいなところもあったんですが、そこも進んでいかないと目的地の長走滝には辿り着かないということで……そこもなんとか抜けていこうと思ったんですけど、でも足元を見てみると、なんか確実に人間ではないものの足跡が雪の上にあったりして。そこで「もしかしたら動物に襲われちゃうんじゃないか」って怖くなって、引き返そうとも思ったんですけど、でも怖さよりも、「その先に何があるのか」っていう興味が勝っちゃった。僕はあわ居に泊まっているわけなので、崇さんや美佳子さんが心配するかなとも思ったんですけど、でも何かあったら自分でなんとかしようと思って……ただちょっと怖いことには変わりがないので、周囲をよく見ながら、慎重に先へと進んでいきました。

 

それで、雪に覆われていて、そこが道なのかどうかすらわからなかったところをずっと歩いていたなかで、雪が積もっていない新しい道が、先に続いているのがはっきりと見えたタイミングがありました。そこでなんだろうな……自分がいろいろと悩んでいるなかで、人生に対しても問題意識が向いていたから、「人生っていうのも、きっとこういう感じで道が続いていくんだろうな」っていうことをそこで思って……自分のなかでちょっとした感動がありました。それで、どんどんどんどん先に進んでいったんですが、その途中にも水が少し溢れていて歩きにくい道があったり、もっと大きい鹿の足跡もたくさんあったりして、何度も「やっぱり引き返そうかな」と思ったんですけど、でももう目的地も近かったので、「もう進んじゃおう」って。それでようやく、滝のある場所までたどり着いたんですよね。

 

実際、その滝を見てみて、なんだろうな……なんか思っていたのと全然違っていた(笑)。自分が想像していたのは、めちゃめちゃでかい滝で、もっとインパクトがあるものだったんですけど、実際はすごいコンパクトで……そこまで大きなものではなかった。そこでは「こんな感じなんだ」くらいの感想しかなくて、そこまでの印象はなかったんです。でもその後に、ふっと周囲を見まわした時に、そこに滝以上に感動する景色があったんです。その景色を見て、思わず涙を流しそうになった自分がいた。それを写真にどうにかしておさめたいと思って、撮り続けていたんですけど、何度写真を撮っても、さっき感じた景色がそこに映ることはなくて……それで自分の人生のなかで、こんな一瞬と出会い続けていけたらいいなぁって思ったし、こういう景色と出会えるような旅をしたいなぁとも思いましたね。自分でもよく分からないものに出会ったという感覚が大きかった。

 

 

-自分でもよく分からないもの、と言いますと……。

 

 

うーんと、なんだろうな。あわ居別棟のなかにいて本を読んでるなかでは、少なくともそこで言葉と出会うというところに身は置いているんですけど……でも別棟でしている、ご飯を作るとか、寝るとか、何かを飲むとかって、普段の生活でも同じことをしているので。そこではなんていうか、その先が想像できるというか……自分としては「なんか分かるものに囲まれながら時間を過ごしているなぁ」という感じだった。それとは違って、散策は周りを見渡しても自分の知らないものだらけだし、靴はびちょびちょで、歩くのも結構大変だったけど……でもそのなかで、ちょっとした嬉しさもあったりして、でもそもそも自分は嬉しい気持ちになるなんて思ってもいなかったから……だからそういう感情に出会うことも予想外だったんですよね。

 

 

-なるほど。それで別棟に戻ってこられたのは、夕方前くらいでしたよね。

 

 

そうですね、日も暮れ始めていたのでそろそろ帰ろうと思って。途中、美佳子さんから心配のメッセージがあったりもしたので、それでようやく別棟に帰ってきたという感じですね。三日目はそんなふうに終えて、四日目は、僕が朝起きるのが苦手なこともあって、昼前に起きました。その後は、縁側のところで寝転がったり、飲み物を飲みながら一息ついたり、読書をしたりといった感じで時間を過ごして、その後十七時に本棟の「ことばが生まれる場所」にチェックインしました。

 

 

-本棟での「ことばが生まれる場所」はどのような時間でしたか?

 

 

なんだろうな……今思い返してみると、もっとあの時間のなかで過ごしたかったなぁという感じです。崇さんや美佳子さんと話して、すごく自分の中に言葉が湧き起こってきたし、崇さんと美佳子さんから受け取った、印象深い言葉もたくさんありました。例えばさっき触れた滝まで歩いた時のエピソードは「ことばが生まれる場所」の時間のなかでも共有したのですが、それを共有した時は、言葉がドバドバと自分の中から溢れてきたというか……雪の上を歩いていた道中のプロセスとかあの時の情景が、話をしながらどんどん蘇ってきて、そのままどんどんと、勢いのままに言葉が紡ぎ出されていったという感じでした。そこで崇さんから「その体験が日暮さんの原点のようなものになっていくのかもしれないですね」というようなことを言われて。「たしかにそうかもしれないな」って思ったし、というよりは「そういうふうにしていきたいな」って思いました。

 

(当時のメモを見返しながら)あとはなんだろうな……これまで自分が言いたいことをちゃんと他者に言えないことだったり、自分が自分の情動や感情に蓋をして、社会や人から要請された自分を生きてしまっていることだったり……そのせいでずっと自己嫌悪とか不安、しがらみにつき纏われていることとか……それがすごく生きづらいとか。そういうことを話したりしました。そういうなかで、これまで自分がしてしまっていた、「心に蓋をして、言いたいことをいえなくなってしまう」ことは、一旦やめてみようって……まぁでもやめてみようって言っても、これまで自分はそれをしてきたわけだから、結局は蓋をしてしまうとは思うんですけど……でも、そういう自分をちゃんと認識したうえで、「あ、今の自分は蓋をしちゃっているな」って思った時には、ちゃんと「思ったことを言おう」って。「相手に合わせたところで言葉を紡ごうとしているな」って自分で気付いた時には、それをやめてみて、ちゃんと自分の言葉で言おうって。それを心がけたいなって、いろんな話をしながら、その時思いました。

 

それで、今はあわ居から戻ってきて二週間くらいが経って、今はいつもの日常にいるんですけど、今話したところに関連する部分で言うと、これまで「男とも付き合いたいな」って思っていながら、そうできていない自分がいたので、今は同じセクシュアリティの人と出会うための動きをとってみたりもしています。今までそういう動きをしてこなかった分、そこで自分と同じようなセクシュアリティの人と出会えたことで、今すごく自分が正直に生きられているなと思うところがある。自分はこれまでの人間関係で、みんなと仲良くなるのに、最低でも一年くらいかかってしまう感じで……それくらいかけないと話せる立場になれなかったんです。でも、同じセクシュアリティの人との間だと、自分のセクシュアリティを隠さなくても良い分、仲良くなるスピードが違っていて。言いたいこともすごく話せるし……たった数回しか会っていないなかでも、話が尽きないくらい車で話したりとか……なんていうか、自分の行きたい方向に行くだけで、こんなに心地よくいられるのかと思って、この先をもっと進み続けたいなと思って、今を過ごしていますね。

 

 

-なるほど。その他に印象に残っているエピソードなどはありますか?

 

 

そうだなぁ……僕は大学を卒業し、四月からはシステムエンジニアとして働くわけですけど、これから社会人として生きていくにあたって、なるべく遠慮をしないというか……このインタビューの冒頭でも少し触れましたが、僕は別棟で使う食材を持ってくるのを忘れてしまい、最初に石徹白のバス停に着いた時に、崇さんから「もしかして、別棟で使う食材忘れた?」と言われました。そこで僕は、崇さんや美佳子さんの力を借りずに、自分でなんとかしたいと思ってしまって……それで、僕は「お米を分けてもらえたら、自分は大丈夫です、それで過ごします」って言っちゃったんです。でも「それはあわ居という場所の体験が貧しくなってしまうことでもあるから、すごく残念なことだ」って、その時に崇さんに言われて……そこで自分自身、気付かされたことがありました。

 

自分の心に蓋をしているというか、ちゃんと言えていなかったというか……相手のことを想って言った言葉であるように見せかけて、でもそれはよく見てみると、自分自身のことばっかり考えていたものだった。自分の身の回りのことしか見えていなかったというか……自分の本音を相手に伝えるってなった時に、「そうなるかもしれない」ことばかりを自分で先に考えてしまって、結局言えなくなっちゃってみたいな……「そうなるかもしれない」のは確かにあるかもしれないけれど、でもそれは誰かにそう言われたわけじゃない。自分で思い込んじゃっている部分もあるんだなということに気付いて。そういうところに陥ってしまうよりは、自分の言葉でちゃんと伝えることだったり、自分のことを正直に伝えた方が、結果的にはお互いにとって良いものになるんじゃないかって、そこで思って。

 

それであわ居から帰ってきてから、蓋をしていたものを晒すのが本当に怖かったけど、それでも自分の思っていることや話していなかったことを、相手に全部ちゃんと伝えてみた時がありました。そこでは自分にとって、ズキンと胸に突き刺さるような言葉が相手から返ってきたりもしました。でもちゃんと言えたおかげで、大変だったけど気持ちとしては苦しくなくて、清々しかったんです。だからこれからも、そうした「ちゃんと伝える」という部分は大事にしたいなって。

 

あとは、本棟での二日目の朝は崇さんと美佳子さん、三人で話をしたわけですが、美佳子さんからは新卒で写真スタジオで働いていた頃のエピソードなんかを聞いて、社会で生きる術を助言してもらったり……それ以外にも働くことについていろいろと話していくなかで、自分はシステムエンジニアとして就職して働く道をとりあえず選んではいるんですけど、自分のやりたいことをやって、それを続けていく人生もあるよなぁ、ということを思って……そのなかで「自分のやりたいことって、何かなぁ」っていうことを考えていったときに、自分はやっぱり作曲をやりたがっているなぁということに改めて気付かされた。昔、授業のなかで作曲をしたことがあったんですけど、でもそこで熱が冷めることはなかったんだなって……だから、作曲をし続けられる生き方を選んでいきたいなというか……何が良いのかっていうのはまだ分からないですけど、とりあえず今はあわ居から帰ってきて、自分に対して作曲をやらせてあげています。あとは旅もこれからたくさんしていきたいなと、今はそう思っています。

 

 

(*1)セクシュアリティというセンシティブな話題が出たこともあり、インタビューを匿名で掲載することや、または当該部分を必要な形で削除したうえで掲載することなど、様々な可能性を日暮さんと一緒に探り、検討したが、日暮さんの強いご意向もあり、文章はそのままで、かつ実名で掲載をする、という判断に至った背景があったことを、ここに記しておく。

(*2)安富歩(2011)『生きる技法』p.50、.青灯社

(*3)長走滝は、白山中居神社の東側の林道を進んだところにある、落差十五メートル程の斜瀑。

 

インタビュー実施日:2024年3月22日

聞き手:岩瀬崇(あわ居)