体験者インタビュー集に「vol.18:Cさん」を追加しました。

 

 

おはようございます、あわ居の岩瀬崇です。表題の通り、本日あわ居のホームページ上「記録集」に「体験者インタビューvol.18 : Cさん」を追加しました。

 

2024年の8月に「ことばが生まれる場所」を体験されたCさんは、インタビューの中で、「あわ居さんに行ったからといって、すっきりしたっていうこともなくって」ということをお話しされ、むしろ、「あわ居さんにお邪魔したあたりからずっとなんですけど、私はほんとに自分に自信がないというか、モヤモヤし続けて」いるということ、あるいは「あわ居さんから帰ってきたあたりからが、一番苦しいですね」ということを、共有してくださいました。

 

しかしそうした苦しさやモヤモヤの増幅は、そこで感じられる自分自身との不一致感=ズレは、CさんにとってはポジティヴなものでもありうることをCさんは述べています。「きっと無意識のうちにズレはないものにしていたんです。その意味では、あわ居さんの時間は、ズレをより自覚する大きなきっかけだったのかもしれないですね。それが前進なのかもっていうのは、すごくうれしいですね。苦しいは苦しいですけどね」。

 

もちろんCさんは、今も葛藤の中にいて、何か明確に方向性が見つかったわけではない。そのことはご本人も何度も述べられています。しかしCさんにインタビューをするなかで私がふと感じたのは、その葛藤の最中に紡ぎ出される言葉、あるいはその葛藤する姿自体が、非常に美しいということです。生に向き合う態度、生に対する真摯さがそこにはあります。私はあまり「美しい」という言葉を使いませんが、しかしそういう語彙を用いる以外には方法がない何かが、本インタビューの中には確かに感じられ、インタビューをしている私自身の生もまたそこで、鋭く問われているような、そんな感覚を覚えるのです。

 

そしてCさんが対峙されている葛藤は、きっと現代を生きる人の多くにも、似たような部分があるのではないかということも思います。その意味で、Cさんの抱える苦しさは、個人的なものではありますが、どこか社会的、集合的なものなのではないかと私は思います。だからこそ、私たちはCさんの葛藤をなぞりながら、自分自身の現在の在り様にも目を向けることができるのではないでしょうか。Cさんの抱える葛藤が、実は自分自身の中にあることを自覚したり、それを踏まえて自分は今後どのようにしていったらよいのかを思案したり省みたりする。そんな時間を生み出す契機としても、是非Cさんのインタビューをご覧いただければ幸いです。

 

 

あわ居 岩瀬崇