体験者インタビュー集

 

vol.1

菊地美希さん/1985年生まれ

2021年7月「ことばが生まれる場所」を体験


 

-まずは、あわ居での時間がどのような時間だったか教えて頂けますか?

 

 

色んな面で、自分の生き方やあり方を、問い直された時間でした。あわ居という場だけでなく、石徹白という地域の中にあるあわ居だから、という部分も自分にとっては大きかった気がしています。石徹白の自然の中には、見たこともない蝶々や、見たことのない色のトカゲがいて。あとは蟻がとっても大きかったり。そういう所からも、まずは別世界にいるんだという感覚がありました。私はあわ居で、最初にお風呂に入ったんですが、建物は古いけれどすごく綺麗に掃除されていて。ただのお風呂なんだけれど、ハーブの香りもして、すごくもてなされている感覚をところどころに感じるって言うんですかね。人に丁寧に接しようとしている、その在り方をとても受け取った時間だったなぁっていう風に思います。

 

 

―面白いですね。蟻やトカゲが目に飛び込んできたというのは、もともと菊地さんにそうしたものに着目する傾向があるのでしょうか?

 

もともと、そういうものに着目する傾向はないですね。普段は見ないです、そもそもあまりいないので。蝶々が飛んでいても、モンシロチョウとか見慣れているものしかいない。そういった意味でも、見たことのないものが目に飛び込んでくることで、色んなものを根底から問い直す、その前提が作られた感じがありました。山羊を飼っている家があったりとか。ただ石徹白を歩いてるだけで、常識が壊されていくわけです 。あわ居という劇場に行く前の道で、色々壊されていって、あわ居に入っていって、さらに壊されていく(笑)

 

 

―石徹白の風景や生活の様子などを目に入れた段階で、まずは日常とのギャップを感じられたということですね。その上で、あわ居に入ってみて、さらに感覚の広がりがあった。

 

 

そうですね。例えば、シャンプーやリンスなども、都会の宿泊施設で使われているような、効率性を重視したものではなく、自然に配慮したものが備えられていました。在り方と置いてある物が一貫しているというか。眼に見えるものと感じるものが一貫している。そういう部分に対しての衝撃がまずはありました。お子さん達がおしぼりを運んで来てくれた時も、「なんか感動!」という感じで(笑)。あとは、崇さんが、最初に出迎えてくれる時に、雰囲気が・・・。その時はちょっと言葉には出来なかったんですが。あとから美佳子さんと二人で話した時に、崇さんはお客さんが来る時に、「どんな人なんだろう、この人は」ってことをすごく感じようとするんだという話を聞いて。あ、それだけ気合がはいっているんだなと(笑)。それを聞くと、最初に崇さんから感じたあの雰囲気は、そういうことだったんだなって。

 

例えば都会でどこかに泊まりに行くと、「いらっしゃいませ」って出迎えられて、「はい202号室です」って感じで流れていきますよね。でもあわ居に入った時は、一人の客としてではなく、一人の人として迎え入れられているなぁということが、ありありと感じられましたね。「30代の女性。一泊いくら払ってくれる人」として受け入れるのではなくて。向き合うというか。菊池美希という人、ひとりの人として接してもらえているという感覚がすごくありました。だから、ある種の良い緊張感はあったかもしれないですね。

 

例えばどこかの宿に行ったとしても、一定の距離感があって、物と物として対峙しているというか、他人と他人で接している感覚になることが私はあるんです。でもあわ居に行った時は、人として接してくれるから、お風呂でもきれいに使おうって思うし、お部屋に入った時の調度品も、すごく出迎えられているような感覚がした。美佳子さんのご飯もそうですし、ご飯に対する愛情もそうですし。全てが私に向き合ってくれている、歓迎してくれている感じ。あったかくて、これまで味わったことのない、こそばゆさというか。ざわざわ感。なんなんだろう、これって。良い意味での違和感ですよね、今思い出しても胸がきゅんとなる感じ。ざわざわした感じ。

 

 

―ざわざわ・・・ですか。

 

 

そうですね、なんだろう・・・。そのざわざわには独特の質感があるんですよね。物語の中にいるっていうか・・・。前に高いお金を払って一人でスイートルームに泊まってみたことがあるんです。そこの時間もまぁ豊かではあったんですが、でもすーって流れていく感じだった。後から振り返ってみて、「あぁ、なんかパンがおいしかったなぁ」とか、「 朝陽がきれいだったなぁ」とかそれくらいの感じ。でも、あわ居の時間って、例えば雨の音もですし、こんな急に風が冷たくなるんだとか、見るもの、聞くもの、刺激が多すぎるというか。刺激がないところにいったはずなのに、感じることが多すぎて、ちょっと忙しい。でもそれが心地良いんですよね。感覚が機敏になっているっていうんですかね。 それはすごくあると思います。崇さんや美佳子さんやお子さんが作られている空気から、それが生まれている所があるような気がしていて。神殿の中に入った時って、ただの建物なのに、独特の感覚があるじゃないですか。厳かな感じというんですか。それがあわ居の中にあるっていう感じですかね。だからこそ生まれてきた対話の質があったように思います。

 

 

―対話の中で印象に残った場面などはありますか?

 

 

(ノートを見せながら)ノートに書き残してあるんですけれど。これが崇さんのページで、こっちが美佳子さんのページ。忘れないうちにと思って、帰りの電車の中だったか、どこかで書きました 。特に印象的だったのは、崇さんの言葉でいうと、「自分の中の醜悪な部分を認める」ですね。崇さんがうわべだけの会話が出来ない話だったりとか、今のあわ居の運営の形態に至るまでの葛藤だったりとか。そういう話を分かちあってくれて。1年前の私は今よりもずっと悩んでましたけど、自分の醜悪さを受け入れきれていないと言うか。まだ良い人であろうともがいていた。良い人であろう、優秀であろうと、もがいているからこその苦しさがあった。

 

でも崇さんは、良い意味で諦めて受け入れている。その潔さみたいな部分を、在り方からもすごく感じて。自分が認められてない自分の醜悪な部分を、目の前でちゃんと認めている人がいるって言う事を感じた時に、それを認めていない自分が対比的によく見えるようになった、そういう感覚がありましたね。あとは、内側の軸に沿って生きるか、外側に従って生きるかの話もしましたよね。私はそもそも内側がブレブレだから、内側に沿って生きることの意味さえよくわからない感じだったんです。多分その起点となるのが、自分の醜悪な部分を受け入れる所なんだろうなぁって。

 

あとはやりたいっていう気持ちが起点になってやっていると、応援してくれる人だったり、広めてくれる人が出てきて、商いになっていくんじゃないかなって思ったり。生かし生かされ合うようになっていくんじゃないかなぁって。私は今までも、やりたいっていう気持ちは色々あったはずなんですが、どちらかと言えば、やらなければならないとか、こんなダメな自分はもっとましにならなければならないって、そういうところでずっと生きてきた。でも、ここ最近、ここ一ヶ月ぐらいで、「あ、これかもしれない」っていうものが、見えてきているんです。それって一気に変わったりする人もいるのかもしれないけれど、私にとっては、その種を撒いてくれたのがあわ居の時間だったのかなって。あわ居で撒かれた種が、徐々に徐々に発芽というか、この1年間で根を張って、積み重なって、今この一か月で何かが起きている。そういう種を撒いてくれたり、肥料を与えてくれたりしてくれたのが、あわ居の時間だったのかなっていう風に思います。

 

あとは、私の中に元々あるものを見てくれたということも強く思います。対話の中で、ADHD やアスペルガーの傾向がある人に、私は好かれるという話をしたんです。ADHDとかアスペルガーの気質がある人って、自分がこうしたいっていう思いが強い人が多いですよね。そういう思いがある人達を支援することも、もしかしたら私の役割になりえるんじゃないかといった話が対話の中で出てきた。それまでの私は、自分に思いがあって、こうしていきたい、動いていく方でありたい、そっちが人間としてあるべき姿なんだって思っていました。だから、こうしたいって動いている人を支援するのは、自分の意思がないとか、ちょっとかっこ悪いんじゃないかっていう風に思っていた。

 

でも、対話の中で、私の強みを見て、あるものを生かす形で光を当ててくれた感じがあったんです。夫婦でお店を経営されている方の例も出してくれましたよね。一方は思いをもって動いていくタイプだけれど、もう一方は思いのある人を支えて、一緒に形にしていくタイプだという風に崇さんには見えていて。どちらの役割も素晴らしいし、必要だと思うといった話を具体的にしてくださった。そういった中で、それまで点だったのが、線になったり、薄い線がちょっと濃い線になって行く感じがあった。そこにも可能性があるのかもしれないとか。そこで自分は生きていてもいいのかもしれないって。もっと役に立てることがあるのかもしれないなって。とても勇気をもらった。今年も絶対行きたいって思ったんですよ、あわ居に。それくらい感情が動いた。1年前のあわ居での時間が、論理的に、今にこう繋がってますという説明は出来ないんですが、こんなに感情が動いたっていうことは次も、絶対何かがあるなぁという風に思いますね 。

 

 

-感情が動いたという部分について、もう少しお話して頂けますか?

 

 

なかなか言葉にするのは難しいんですが・・・。例えばお二人との対話だったり、お二人の在り方、石徹白という場所や人たちから感じるものを見ながら、私たちが生きてる今の資本主義社会って、ほんとダメだなって(笑)。これすごい思ったんですよ。私はなんて世界を普段生きているんだろうって(笑)。人間が一人芝居をしているというか。勝手に問題を作り出して、勝手に大変だと言い、またそれに対処するための事業を生み出しているだけなんじゃないかって(笑)。そういうところで、頭を強く打たれたような感じがありましたね。 衝撃といっても良いですね。

 

あとは、あたたかさも感じた。美佳子さんと夜に話している時に、「明日の朝、何が食べたいかな?」って聞いてくれたんです。私の好きなものをたくさん聞き出してくれて、「できる限りやってみるね」って、朝作ってくれたんですよ。「いつもだったら、こんなにチャレンジして料理はしないんだけれど、美希ちゃんだったら受け止めてくれる気がするから、失敗するかもしれないけど、作ってみた」と言ってくれて。そこで思ったのは、受け取るっていう事が一つの才能になり得るのかもなぁって。そのことに私は気づいていなかったんですね。そこでもまた、私に元々あったものを見つけられた気がした。それまでは、受け取るなんて誰でもやってるし、むしろ何もあげてない。私はあげたいのに、もらってしまっているって思ってしまっていたんです。でも、受け取る事によって相手が幸せになることがあるんだなぁって。失敗するかもしれないけれど、美佳子さんが新しい料理にチャレンジしたっていうことが、美佳子さんにとってもすごく楽しい出来事だったらしくて。音符がみえるくらいルンルンされてたんですよね。それを見てて、「受け取るってことが、こんなに相手に喜んでもらえることでもあるんだなぁ」って。「私が今回は料理にチャレンジしたのは、美希ちゃんが受け取ってくれると思ったからだよ」って美佳子さんが言ってくれて。なんかもうあったかいし、なんかもうガーンだし、パニックみたいな(笑)

 

 

―(笑)。はじけちゃったみたいな。

 

 

そうです、そうです。固定概念が。なんて狭い枠で考えていたんだって。なんて狭い、自分一人で作った劇場の中で生きていたんだって。自分で自分を生きづらくしてたんだって。世の中にはこんな考え方があったのかと、そういう衝撃を、あたたかさと共に受け取る場面がいっぱいありました。あとは、美佳子さんが小学校の給食の調理を週に一回されているという話も印象に残っていますね。すっごい楽しそうに話すんですよ。「家の料理だと四人分しか作らないから、家だったら計るなんてほとんどやらない。でも給食だと何十人作らなきゃいけないから、塩何グラムとか計って入れてて。同じ好きな料理をしてるんだけれども、全然やってることが違う、体験として違うものを仕事の中でやっている、それがすごい楽しいんだよね」という話をされていた。

 

料理って人によって面倒くさいものだと思うんです。私も料理は好きではあるんですけど、面倒くさいって思うことの方が多い。どんどん料理が省力化できるように、商品なども設計されてると思うんですよね。なのに、その面倒くさいことに対して、こんなに楽しそうに向き合って仕事をしてる。楽しみは自分で作ることができるんだなぁって思いましたし、そうやって楽しんで生きてる人の魅力を感じられたことは大きかったですね。上に上がらなきゃとか、できるようにならなきゃとか、そういう風に思って戦って生きてきた私としては、弾けるように楽しんで、それで魅力的って、それはもう枠外の概念だったんですよ。「めちゃめちゃ頭きれるようになって、めちゃめちゃ仕事できるようになって、それでようやく魅力的」っていう風に思ってきた私としては、なんかもう、そういうことじゃないんだなって。 

 

 

―そういう揺れや衝撃があった中で、逆に不安になったりはされなかったですか?これからどうしていったらいいんだろうって途方に暮れてしまったり。

 

 

ありますあります。やっぱり私は小学校の頃から点数をとって、努力してできるようになる、優秀になるっていう風に三十数年間を生きてきたから。そちらのレールがあるんだなって思っても、すぐそっちには行けないんですよね。だからどうしたらいいんだろうっていう葛藤をこの一年間ずっとしていた。あわ居に行ったその翌月くらいから、私は二十四時間三百六十五日ずっと眠いっていう症状になっていて。病院に行ったら「過眠です」って言われて。 今も眠いんです。でもきっと眠いっていうのは、偽りの自分を生きるのをやめなさいってことなのかなぁって。対話の中でも自分で居ることを優先するという話がありましたけど、これがなかなか出来ないんですよね。それってどういうことなんだろうって。それも含めて、小手先でどうにかするのはやめなさいって意味で眠くなってるのかなぁって。そんな風にこの一年間思ってたんです。それで、ここ一ヶ月くらいで、「は、これかも」ってものが出てきた。いろんなものが積み重なって積み重なって、表面張力のよう溢れてきて。「は、これかも」って。だから、あわ居から帰ってきてからは、ずっとひしめきあっている感じでしたね。

 

 

―最後になりますが、雨の音や風、虫などが普段よりも凄くクローズアップしてきたというお話を序盤にされていたことが非常に印象的でした。最後に、もう一度、そのあたりのお話をもう少しお伺いしても大丈夫でしょうか。またその時の感覚は、日常に帰った後でどういう風になったのかなという点も興味があります。

 

 

トカゲを見てた時は、冒険してる感じでした。石徹白って人も少ないですし、木々もいっぱいで厳かな感じがある中で・・・。ちょっとすいません。すこし綺麗すぎますけど、絵本の中に迷い込んだみたいでした。そう、鮮やかに光景として出てくるんですよね、場面場面が。画として出てきます。その時の感覚も。夜六時くらいに、「あ、七月でもこんな寒いんだ」って思ったときに、雨が降って、すごいしとしととした綺麗な音がしていて 。ひんやりする感覚も都会とは違う。なんていうか・・・。ほんとに冷たいっていうか・・・。なんだろう、冷たさの感覚が違う感じ。普段雨だったら、嫌だなぁとか、雨くさいなぁとか思ったりするんですけど、なんかそうじゃない、もうちょっと神秘的なものとか、すごく素敵なものとして、私の記憶に残ってますね。とにかく厳かなものとして。崇さんからしたらそれが日常なんでしょうけど、私からすればあの雨の音や風の感じは、とにかくすごい新鮮でした。初めてといってもいい感覚でしたね。

 

とりあえず、帰りの電車の中で涙が出たわけですね、「帰らなきゃいけない」って。そこからは石徹白やあわ居での衝撃を同僚にたくさん伝えました。トカゲが!みたいな(笑)。でも人間って怖いもので、三日くらいすると、もう日常に戻っているんですよね、脳が。戻っているんですけど、でも葛藤は生まれちゃったものだから。向き合い続けてましたね。そうすると、「今の環境にも悪くない所があるじゃないか」とか、環境にどうこう言うよりも、「私はこういう世界を創りたいんだ」っていう部分に焦点が向かったりとか。そういう意味で、けっこう物の捉え方が変わったかなっていうことは思いますね。「あれ、私この洗剤使ってて良かったんだっけ」とか。「この食べ物、食べてて良かったんだっけ」って。日常に対して問いが出てくるというか。あとは生き方としても、こういう風に生きなきゃいけないっていう、ある程度の正解の幅みたいなものがこれまではあったんですが、それを広げた上で、周りを見れるようになった。枠が広がることで認知の広がりがあって、この一年間の変化になったのかなって思いますね。

 

 

 

インタビュー実施日 2022/5/1 聞き手:岩瀬崇(あわ居)